写真を撮る父

 私が小学生の頃、日が差し込む縁側で広げた新聞にすわり爪を切っていたところ、
爪を切り終わった手をみつめる私のそばに、父がやってきました。

「かわいい爪だな、きれいに切ったね」
父はいつも私のことを褒めてくれるので、そのときも少しこそばゆいような気持ちになりながら、
じっと手を見つめていました。
パシャ、とシャッターの音がしたので振り向くと、父がカメラを構えていました。

「また、写真撮ったの。爪なんて撮ってもしょうがないよ」
「そんなことないさ、爪だって変わっていくよ。変わっていくものだから写真に撮って
残しておくんだよ」
父はそう言って笑いました。
「爪は伸びるけど、また切るよ」私がそう言うと、父はただ笑っていました。

 毎年咲く庭の花も、家のたたずまいも、父は写真におさめていました。
「変わるものだから」
父の口癖は、いつも同じでした。


 そんな父が亡くなりました。
私ももう五十歳ですので、悲しみながらも父のお葬式の用意をしていました。
父のお葬式の準備をしていたら、父の写真は四十年以上前の写真しかないことに気がつきました。

 この四十年に変わっていった父を私は知っています。
あんなにたくさんの「変わっていくもの」の写真を残した父本人の写真は、残されていなかったのです。

 幼い私を抱っこして笑ってる、生き生きとしたお父さん。
遺影に選んだその写真を見ながら、父は変わっていく自分を残したくなかったのかもしれない、と、
鏡に映るシワの増えた私の顔をなでながら、そう思いました。


end

(c)AchiFujimura StudioBerry 2006/6/5