人間、嫌いな物と好きな物には敏感になるものですね。
私も鳥肌が立つほど嫌いなあの顔を見つけるのに、数秒もかからなかったと思います。
場所は自宅の台所、換気扇がずれて少し斜めになっているのを直さなくてはといつも気にしてはいたのですが。
そのずれた隙間から顔が出ています。
あいつの顔です。
チョコっと顔を出しては、また引っ込みます。
それを何度も繰り返しています。

 はじめてその様子を見た日は、もう台所へ入れませんでした。
あいつが飛びついてきたところで私を殺すことも傷つけることも出来ないのに、なぜか恐ろしくてたまらないのです。
台所を通らなくては家の外にでられないのに。
今日が日曜日でよかった。

 次の日はどうしても会社に行かなければならない、ご飯を食べなくてはならない。
恐る恐る台所に入りました。少しの物音や気配にも敏感になっている私です。
なるたけあいつのことを思い出さないように、楽しい気分でクラッカーとコーヒーを取りました。
しかし、見なければいいのにやっぱりあの換気扇の隙間を見てしまったのです。

あいつは変わらずそこにいました。2本の細い紐のようなものが、出たり入ったりしています。
その場に倒れそうになりながらも、私は気合を振り絞って部屋へもどり、引き戸を閉めました。

全くおそろしい、あいつは一体何の目的でここにいるのだ。
そしてなぜ何度も出たり入ったり反復して、顔を出しているのだ。
理解できないし理解したくないのですが、ご飯を食べる気もなくなって、頭の中はあいつの黒く光った顔ばかりが浮かんできます。

結局ご飯は食べられなくて、そのまま会社へ行くことにしました。
台所を駆け抜けるべきか、それとも刺激しないようにそっと行くべきか。私は数十分悩みました。
幸いまだ顔しか出ていない状態なので、刺激をしないようゆっくりと外に出ることに決めました。
会社に行っている間に薬を炊けばいいのだ、と皆さん思うでしょうが、そんなことをしてみなさい。
あいつらが薬にやられて部屋に落ちでもしたら。一人暮らしのこの家では、私以外に片付ける者もいないのです。

 台所はなんとか通り抜けて、靴を履くことが出来ました。
またもや、見なければいいのにあの換気扇の隙間を見てしまったのです。
遠目からも何かが現れたり消えたりしているのがわかります。
ああ、あいつはまだあそこにいる。
会社から帰ってきても、まだあいつはあの隙間から顔を出したり引っ込めたりしていました。
一体何をやっているんだ?
自分でも驚くのですが、あいつの行動が気になって、恐怖心が少し和らいだような気がします。

 毎朝会社に行ったり、食事を作ったりしているうちに私はだんだん慣れてきました。
あいつはそこにいて、顔を見せたり引っ込んだりを繰り返しているだけで
それ以上出てきません。いなくなることもありませんが。
数日たつうちに、私はだいぶあいつの顔の近くへ行くことが出来るようになっていました。
時にはその動きがいつやむのか気になって、1時間近くあいつを見つめていたこともあります。
食事の用意で台所に立つのも、会社へ行くのも平気になりました。
「いつまでやってんの?疲れない?バカだな」
等と、あいつに話し掛ける余裕も出てきました。

 ある日、私は友達を連れてきました。
「本当だ。なにやってるんだろな。」
友達は不思議そうにつぶやきました。私の台所で反復運動を繰り返しているあいつを見に来たのです。
部屋でコーヒーを飲みながら、あの行動はこれじゃないか、いやこの本脳のせいかも、など話し合いました。
とにかく何日も続いているのだと。あいつの存在自体よりも、その行動の謎のほうがいまは気になっているのだと、私は言いました。
友達も「確かに気になる、あの行動を止める日が来たらすぐ教えてくれ」と言い残して帰りました。
そうか、いつかあの行動は終わるのか。始まった日があるのだから、終わる日も来るだろう。それはいつなのだろう。
こうなってくると、終わる瞬間を見届けなくては気がすみません。

私はカメラを買ってきて、私のいない間や寝ている間は録画することにしました。
もし私のいない間に出入りが終わっていたら、録画した映像を見て終わるところを見てやろうと。

 そのうち、会社にいるときも気になって気になって仕方がなくなってきました。
ああ、もし今この瞬間に終わってたらどうしよう?
それこそすごい後悔するんじゃないだろうか、後から録画を見るだけで私は満足できるのか?
数日悩んだ末、私はライブカメラの設置に踏み切りました。
これならネットでみれる。会社でも、ずっと監視が出来る。
友達にもアドレスを教えて、またその友達にも伝わって、あいつが出たり入ったりしている映像へのアクセスは飛躍的にのびました。

 最初にあの顔を見てからだいぶ経った頃、ライブカメラのページに設置した掲示板に気になる書き込みがありました。
「僕はここ数日、毎日何時間か映像を見ているのですが、気づいたことがあります。
このスクリーンキャプチャ画像を見てください」
彼の残した3枚の画像を見て、私は久しぶりに鳥肌が立ちました。
違う。色が違う、大きさが違う、みな、明らかに違う個体。

「どうも、僕にはたくさんの個体が入れ替わり立ち代り、換気扇の穴からのぞいているような気がしてなりません」
その言葉に、あの換気扇の壁の裏側をたくさんのあいつが行進している姿を思い浮かべてしまいました。

大勢で、私の家を見学にでも来ているのでしょうか。
とにかく私は、ガムテープを持って台所へ走りました。
この行進が途切れた瞬間を狙って、ガムテープで隙間をふさいでやる。

 最初にあの顔を見てから32日、カメラにはあいつの顔が見えなかった瞬間はほとんど記録されていません。


end

(c)AchiFujimura StudioBerry