墓標
妻の5回目の命日は、しとしとと雨が降る肌寒い初秋でした。
妻が眠る墓標の前で、私はしゃがみこんで花を整えました。
向こうで元気にしているか。こっちは皆元気だよ。職場の連中も、今日この花を持って線香あげに来てくれたよ。
持ってきた小さな砂糖菓子を、ひとつ墓の前におき、ひとつは自分で食べます。
これが毎年の恒例行事です。妻はこの砂糖を固めた菓子が好きでした。
生前は「あまり食べたら太っちゃう」と毎回気にしながらひとつだけ食べていたものです。
最近の報告も終えて、そろそろ帰ろうかと立ち上がったときです。
少し離れた墓に、女性がいることに気がついたのは。
雨が降っているのでカサをさしているのですが、ずっとそこにいるようです。
女性は私よりも少し若いぐらいでしょうか。
私は気になって、女性に声をかけました。
「あなたもお墓参りですか」
「いいえ」
「お墓参りではないのに、お墓にいると」
「はい」
大体、女性が座っているのは四角い大理石の板の上で、お墓はその場所にありません。
「あなたはここで、なにをしていらっしゃるのですか? 」
「私は、主人の墓の墓標です。主人は去年亡くなりました」
「……墓標!あなたが墓標ということは、ここにずっと座っていらっしゃるんですか?」
私は驚いて、ヘンな声をあげてしまいました。
「そうです。主人が墓標になるように、と私宛に遺言を残していました。そしてここに座っているのです」
毎日、夜も、昼も、雨の日も。女性はここに一年のあいだ、座り続けたといいます。
食事などの場合は離れるそうですが、あとはずっとここに座っていると女性は言いました。
「だんなさんの命日は」 「平成十三年十一月八日です」 「だんなさんの戒名は」 「八禅院宗豪緒有居士、です」
なるほど、女性は墓標の役割を果たしているので、納得してその日は帰ることにしました。
しかし、家に帰ってもずっとあの女性のことが気になります。
ご主人を亡くされてからまもなく一年、そのあいだあそこで私が妻を亡くした一年と同じ思いを重ねているんだろうな。
いや、むしろ重なりすぎたんじゃないか。私には仕事も、仲間もあったから五年もあっという間だったが、
彼女の墓標としての一年はあまりに切ないんじゃないだろうか。
それから私の墓がよいが始まりました。もちろん、妻への花も忘れはしません。
しかし、あの女性が本当に毎日墓標になっていることに驚き、行くたびに数時間話し込みました。
女性と話しているうちに……この女性が、どんなにご主人を愛していたか、そして私が妻を愛していたかを知りました。
十一月八日、その日は花を二つ用意しました。墓標の彼女によれば、今日はだんなさんの命日のはず。
おなじみの妻への花のほかに、だんなさんへの花も用意したのです。
お昼頃に墓へ行って、私は驚きました。彼女は墓の上で丸くなって、毛布をかぶって倒れているのです。
「どうしました!どうしました!」私が彼女をゆさぶると、彼女は泣き腫らした目でこちらを見つめます。
「どうしました」
もう一度ゆっくり聞くと、彼女はしくしくと静かに泣き出しました。
「どうしましょう」
「どうしました」
「今日で一年が経ってしまいました。遺言では、一年間、墓標になってくれと書かれていましたから、
今日で私の役目は終わってしまいます。生きているうちに、あの人になにもしてあげられなかったので、
私は誇りをもって墓標を勤めてまいりました。なのにそれも今日で終わりです、私はもう必要ない」
女性は顔を手で覆って泣き続けます。
私は彼女の肩に手をおきました。
「私が死んだら、墓標になってくれますか」
私の言葉に、彼女が顔をあげました。
彼女は黙ったまま、下を向いていました。涙は止まっていました。
私も黙って彼女を見つめていました……
そして彼女は立ち上がり、墓標のない墓に向かって静かに手をあわせました。
彼女が黙って私の手をとったので、私は花をひとつ 墓の上に乗せました。
私は女性の手をひいて、ゆっくり墓地を後にしました。
end
戒名はメチャクチャですので、気にしないでください。
(c)
AchiFujimura
2003/1/24
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