腐った鯛
あるところに、腐ったタイがいました。
ふつうの腐ったタイとすこし違うのは、腐っているのに泳げることでした。
ふわふわと腐ったタイが泳ぐと
「やぁ、腐ったタイがきたぞ。」
「にげろ、にげろ。」
と、ほかの魚は、腐ったタイをきらって逃げるのでした。
「なんだい!おれだって、腐っても、タイなんだぞ! おいしいおいしい、タイなんだぞ!」
そうさけぶのですが、そうすると他のタイがやってきて、
「お前のような腐ったやつと、ふつうのタイをくらべないでほしいな。」
と怒られてしまうのです。
自分はタイなのに、ただ腐っただけでタイじゃないと言われてしまうのです。
腐ってもタイなのに……。
とても悲しい気分になりました。
大きなお魚が来たので、「やぁやぁ。おれはタイだぞ。食べに来たんだろ。」
そう声をかけると、
「誰が、お前みたいに腐ったのを食べるか。もっとおいしいタイがたくさん、
泳いでいるじゃないか。」
と言って、他のぴかぴかのタイを追って行きました。
いいなぁ。
おれは食べてももらえないんだ。
友達もいないんだ。
腐ってるもんな。
腐っちゃタイじゃないもんな。ほんとはわかってるんだ。
ちょっと悔しかっただけなんだ。
そうして、すこししんみりとしながら、腐ったタイは泳いでいました。
すると、なにかが上の方からすーっと降りてきました。
エビです。しかも、このエビは、腐っているのです。
「やぁ。」
タイが声をかけました。
「やぁ。」
エビも、前足をあげて答えました。
「おまえ、ずいぶん腐ったエビだな。」
「あんたも、随分腐ってますね。」
お互いに、そう言い合いました。
「腐ったわたしがいやじゃないんですか。」
「いや、おれも腐ってるしな。」
そんなやりとりをしました。
「エビよ。やっぱり、オマエもおれはキライか?」
「いやいや。おなじ、くさった仲間なのに。キラいなんかしませんよ。」
エビがあんまり無邪気にいうので、タイも久しぶりに笑いました。
元の仲間が、腐ったおれをきらうなら、腐ったもの同士で
あたらしく仲間を作ったらいいんだ。
なんだか気分が明るくなりました。
そのとき、タイは気がつきました。
エビの上に、長い糸がついているのです。
「お前、えさなのか」
タイが聞くと、エビはてれわらいをして、
「あきれますよね。うちのご主人ったら、くさったエビで
タイを釣ろうって言うんですよ。まったく、高望みしすぎですよね。」
というのです。
「おれがつれたら、腐ったエビで腐ったタイがつれた、ってことになるな。」
タイはおお笑いしました。
こんなに笑ったのは久しぶりです。
「よかったんですよ。どうせ、仲間の間では、腐ってるからエビじゃないなんて
言われてましたからね。海にでも沈んで、一生を終わりたいもんです。」
タイは、エビの言葉をきいて、なんだかはじめて
分かり合える友達ができたような気がしました。
「おれも、そうだったよ」
タイがそう言うと、エビは頭をあげてタイの目を見ました。
エビも同じ気持ちでした。
二匹は、ずっと話しをしました。
自分が腐るまでの楽しかった出来事。
腐ってからの悲しい出来事。
二匹は泣いたり、笑ったり、まるで昔からの友達のように分かり合いました。
お日様が消えかかった頃です。
クイ、クイ、とエビが上下しました。
「お別れの時間が来たようです」
エビが悲しそうにつぶやきました。
釣り人が帰るのです。腐ったエビでタイを釣るのをあきらめて。
「そんな。せっかく、友達ができたのに。」
タイも泣きそうな声で言いました。
エビは大粒の泪をこぼしながら、
「さよなら、さよなら」と水面へ引き上げられて行きました。
エビの姿が水中から消え、後には波紋だけが寂しく残りました。
しばらく、タイは水面を見つめていました。
神様は二匹を見ていたのでしょうか。
海のなかに、ポチャリとなにかが落ちてきて、沈んできます。
「腐ったエビだ!」
タイは急いで水面の方へ行きました。やはり、そうでした。
「ご主人様が、腐ったエビはやっぱりつかえないって、海に落としてくれたのです。」
エビは言いました。
二匹は、どこまでも、一緒に沈んでいったのでした。
end
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