めがね

 僕が生きているうちに、世界の終末がくるとは夢にも思っていませんでした。
いつの時代にも、世界が滅びる話はまことしやかにささやかれ続けていますが、
僕が知っている歴史の中では、世界が滅びたという話は一度だってないのです。

しかし現実に、今日は世界が滅びています。
発端はいくつかの都市を巻き込む大きな地震でした。なぜかその混乱から戦争がはじまり、
いまや荒野が広がっているばかりなのです。

 僕は小さな銀色のナップザックだけを背負って、歩き続けていました。
赤い文字で「非常用」と書いてあり、圧縮水のボトルとカプセル食を多めに詰め込んでいたので、
僕は飢える事もなく荒野をうろつくことが出来るのです。

 食料さえあれば、あとは案外何とかなるようで、衣服もぼろきれをそれらしく縫い合わせれば良いし、
住居も屋根だけしっかり作れば雨はしのげるのです。

 僕が唯一、終末にそなえて準備を怠っていたものが、「めがね」でした。
長い歴史があるこの矯正具を、僕は愛用していました。医療も進んだので、こんなものをつける必要はないのですが、
僕は病院があまり好きじゃなかったのと、この顔の真ん中に引っ掛ける実用的なアクセサリーが気に入っていたので、
毎日 朝から晩まで使用していたというわけです。

 そのめがねが、混乱のさなかにひび割れてしまいました。
ひび割れると崩壊は早いもので、合成プラスチックのレンズが一部 欠け落ちてしまいました。
そこから僕の恐怖は始まります。「ああ、めがねがなくなったらどうしたらよいんだろう」

 めがねがないと、ぼやけてモノが良く見えません。
裸眼での視力は0.2程度です、これでは危険が近づいてもきづかないでしょう。
実際、鳥と無人爆撃機を見分けられずに、瓦礫の下に潜んでいなかったら撃たれるところだったり、
精巧な自然物擬態爆弾も何度か踏みつけてしまいそうになりました。

 こんなことになるなら、めがねなんて少数派になった矯正具をつけるのはやめておけばよかった。
病院で水晶体補強手術とかをうけて、視力を固定しておけばよかった。
後悔しても、いまは病院でそんな治療を受けられる施設は残っていないのだし、何とかするしかないのです。

 僕は少ない知識を頼りに、ピンホールメガネを作りました。
瓦礫から黒いプラスチックの板を拾い、真ん中に小さな穴をあけ、その穴を覗きます。
視野が狭くなったぶん、遠くが見えるようになります。
身近な危険回避には役立たないけど、遠くをちょっと見たいときには便利かもしれないな。
僕は意外に役立ちそうなそれに喜んで、やたらと穴を覗いていました。

 「おや!なにか、見慣れないものがあるぞ」
僕の巣から、そう遠くない場所に、以前はなかったものがありました。ぼろきれのようです。
恐る恐る近づくと、それは人間の死骸でした。男です。まだそんなに時間がたっていないようですが、
息を吹き返す見込みはなさそうでした……

 僕は驚いて目を見張りました。うつ伏せになり、顔を横に向けているその死骸は、めがねをかけているのです。
おそるおそる、死骸の頭を持ち上げて、めがねをはずしてみました。
多少キズがついてるけど、バッチリだ!くっきり遠くまで見える、僕に合っためがね。
デザインはあまりセンスが良くない、黒ブチの大きな形だけど、いまはむしろこの大きさがありがたい。

 ――そうか、僕のほかにもめがねの人間がいるんですね。世界にはきっと、まだまだいるんですね。
僕はナップザックを背負ってあるきだしました。
大丈夫、僕のめがねはこの世の中にたくさんあるんだから。

end


(c)AchiFujimura 2003/10/17