最後になれなかった葉
作家、O・ヘンリが書いた「最後のひと葉」という作品はあまりにも有名なので、
僕たちケヤキの葉っぱ衆にも語られることが多い物語だった。
そして葉っぱたちはみんな、自分こそが「最後のひと葉」になりたいと願っている。
だってすてきでしょう、自分の存在が誰かを励ますことが出来るなら。
少女を励ました葉っぱは壁に描かれた絵だったのだけれども、
こんどこそ僕たち葉っぱが、誰かに希望を与えたいと、夏の陽の中で若かった僕も叫んだっけ。
それが、どうだ。
僕はいま、惨めに宙を舞って、地面の上を風に任せて転がっている。
くそっ!くそっ、僕こそが最後のひと葉になれる葉っぱだと思ってたのに。
まだ二割は枝にしがみついて残っているのに。
こうなったのも、僕が枝の先から五枚目の葉っぱだったせいだ。
枝の先の奴からだんだん枯れていき、とうとう僕の隣の奴もしゃべらなくなったとき、
下へ落ちる恐怖で僕は震えてたんだ。
枝の水分も少なくなったある日、僕は枝もろとも風に吹き飛ばされた。
僕がくっついている枝には、僕も含めて五枚の葉がまだしがみついている。
最後のひと葉になれなかった僕は、枝の先の葉っぱから四枚の名前を呼んで、グチをつぶやいていた。
どんなに葉っぱたちの名前を呼んで悪態をついても、彼らから返事はこない。
僕は何度も悪口を言って、最後には名前だけを順番につぶやいていた。
名前は不思議な物で、思い出や楽しかった仲間との毎日を思い出させる。
僕たちが生まれたケヤキ並木の下を、車がすごい速さで走り抜けていく。
僕の枝はその風にひっぱられて、どんどん移動していく。でも、誰も枝から離れない、
僕ら五枚の葉っぱは、ずっとひとかたまりのまま一緒に進んでいく。
最後のひと葉になんてなるもんじゃない。
最後のひと葉はこんなに寂しくて、悲しいものなんだ。みんな僕をおいて逝った、
僕はこの枝の最後のひと葉なんだ。
僕なんかが最後のひと葉になったところで、楽しかった日々ばかり思い出して、
仲の良かった友達のことばかりを思い出して、みんなの名前を順番につぶやいて泣くことしか出来ない。
結局、他人を励ますことが出来るのは、純粋な「そこに生まれたばかりの絵」である葉っぱだけなんだ。
そうして僕の最後の水分も、乾いた空気が持ち去って、僕もただの枯葉になった。
もしも最後のひと葉が僕の名前をつぶやいて、僕との日々を懐かしがってくれるなら、
「大丈夫 みんな同じさ 君の名前も 僕はちゃんと覚えているよ」
僕が、最後のひと葉の希望になりたい。
end
(c)AchiFujimura 2003/12/9