駒の人
仕事の忙しい私は、世間では休みとされている土日祝日にもろくに休めず、夜も遅く帰ってくるので、
久々にとれた休みを家で過ごすことに決めていました。
夕食後、居間でのんびりテレビを見ていると、九歳になる一人息子が将棋盤を抱えてそばへきました。
「お父さん、将棋やろうよ!」
「よしよし、将棋を覚えたのか。どれ、ひとつ対戦してみようか」
私は体を起こして、将棋盤の前にあぐらをかきました。
息子が駒をせっせと並べているので、私も手伝おうとすると
「だめだよ、僕がやるんだから」
と止められてしまいましたので、私は「それにしても、将棋の駒の並べ方も覚えたんだなぁ」と感心しながら将棋盤を見つめていました。
すっかり並べ終わった将棋盤を見れば、駒は間違いなく並んでいます。
「どっちが先攻かな?」私が聞くと、息子は悩みながら
「お父さんから動かしていいよ」と答えました。
私はあまり将棋は強くありませんし、相手は子どもです。適当に攻めていこうと決めて、左から4つ目の「歩」を進めました。
息子は悩んでいます。悩みに悩んで、最初の駒は右側の「金」でした。
「おいおい、金から行くのかい」私は驚きましたが、息子は黙って腕組みをして盤を見つめていました。
次の私は1三歩、息子は7七歩。私が6三歩、息子は6六角。私が6四歩、息子5六歩。
私6五歩、息子5五歩。なんだかおかしな雰囲気でしたが、6五歩の前に息子の角行がいたので、それを歩兵で取ってみました。
そっと顔を上げて息子を見れば、震えて目に涙を溜めています。こんなに悔しがるなら角を逃がせばよかったのに。
息子はルールがまだよくわかってないのかな?息子の次の一手を見守ります。
息子の次の手は、7八銀でした。
私は頭をかしげながら、おそるおそる6七歩を取りました。
「ああ……あ……アア」
息子は我慢できなくなったようで、声をあげて泣き出しました。
「どうした、あれは取っちゃダメだったのか?ごめんな?角を返してあげようか?」
私は慌てて、盤のわきに置いていた角を持ち上げました。
「6七にいた歩は、ロシアしてんから来たえいぎょうのアレクセイなんだ」
息子が泣きながら言うので、よく聞き取れなくて「エ?」と顔を寄せました。
「アレクセイは、ロシアでがんばったから、日本に来たんだけど、言葉が通じなくって苦労したんだ」
「でも、ロシアに奥さんが待ってるから、日本でもがんばって仕事をしてたんだよ、それで1ヶ月前に赤ちゃんも生まれたから、
えいぎょう部長の武者三郎さんは、そんなアレクセイをかばって前にでたんだ」
そういえば、よく手元の角を見れば「むしゃさぶろう」と書いてあります。
さっき取った歩には「アレクセイ」と書いてありました。
「武者さんがかばって倒れたから、じんじ部の田村さんがあわてて前にでたけど、アレクセイは敵にやられちゃった。まにあわなかった」
7八銀の側面には「たむら」と書いてありました。
「僕は社長だから、僕が倒れたらみんな困るから、ずっと同じところにいたんだけど……こんなことなら最初から僕がいけばよかった」
王将の後ろに「ぼく:しゃちょう」と書いてありました。
息子はこらえるように泣き続けます。困って台所のほうを見れば、奥さんがこちらをみて目で合図します。
ああ、いつもこんな感じなのか。奥さんは何度も経験しているようです。
「えーっと、それじゃぁ今日はもう寝る時間だから終わりにしような?」
私が息子の頭をわしわしとなでると、息子は泣き止んで「うん、またやろうね、将棋」といいました。
次の日会社に行く間も、昨日の将棋のことが思い出されました。
大きな本社ビルの奥へ入っていくと、青年が「あ、部長!おはようございます」と挨拶をして来ました。
「今日の人事ではよろしくお願いします」青年が言うので、私ははっとしました。
そうだ、今日は人事の会議があったんだった……重要なプロジェクトのリーダーを決める会議。
「えー、私ども営業一課からは小林君を推薦します」
小林、さっき挨拶してきた青年だな。「今日はよろしく」ってのはこれのことか。
「え〜、私ども営業三課からはフェルコビッチ君を推薦します」
「フェ!?」
驚いてへんな声を出してしまいました。
「フェルコビッチ君です。ロシア支店から三ヶ月前に来た青年です」
「しかしキミ、フェルコビッチ君は日本語もあまり上手じゃないし、今回は小林君でいいじゃないか!」
一課が詰め寄ると、三課も言い返します。
「彼にはロシアに生まれたばかりの子どもをおいて、日本に来てるんですよ!
今回のプロジェクトに参加できないと彼は会社をおわれてしまいます」
いろいろ複雑な事情が絡み合っているのだなぁ。
私はこの光景に、昨日の将棋を思い出していました。
ロシアの青年をかばって前に立つ営業部長。今にも飛び出しそうな、私の部下……
そうだ、彼はフェルコビッチ君と仲がよかったっけな、さしずめ、7八銀か……
息子の泣き顔が思い浮かんできました。
「今回はフェルコビッチ君で行こうか」
私がつぶやきました。
どよめきがおこり、三課が手を取り合って喜びます。
「納得できない、会社のためにならない人事ですよ、部長!」
一課が、今度は私に詰め寄ります。
「まったく、同情人事だ!こんな人事がまかり通っていいのか、小林君の今回の不幸は"不幸がなかった"事だ!」
「おうい、将棋やろうか」
会社では外の見える席に移動してから、すっかり暇になった私です。土日祝は息子と将棋盤をはさんで話し合います。
「じゃあ、先に一番向こうのはじまで行けたほうが勝ちだからね」
「よーし、お父さん精一杯邪魔しちゃうぞ〜」
「僕だって負けないよ!」
最近、意外に幸せな私です。
end
(c)AchiFujimura 2004/1/31