映画の思い出

第三次世界大戦で世界は壊滅の危機にありました。
すでに戦争は終わっているのですが、
生き残ったわずかな人は、つい何日か前に敵国からの地震爆弾の誘発で
帰る家はもちろん、文明のすべてを失ってしまったのです。

地震爆弾は最終兵器でした。地盤にショックを与えて、人工的に地震を
作ることが出来るものです。
この国は、それで大半の人が死んでしまい、残ったわずかな人が
身を寄せ合うようにして生きていました。

しかし、そこは地獄でした。
がれきの山で、食べるものはなく、水も少ない所では枯れて、ある所では腐ってしまうという
バランスの悪い状態でした。

「おうい。」
一人の男が、手を振っていました。
しかし、呼ばれている男の方は気づきません。
ひざをかかえて空を見ているのです。
「おうい。」
もう一度よばれて、ようやく気が付いたみたいです。
「なにを、やっているんだ。」
そうたずねられると、
「ああ……いま、映画を見ていたんだよ」
「映画?」
「そうだよ。」
きっと、頭がおかしくなってしまったに違いない。
そう思った男は、そこから去って行きました。

映画を見ていた男はまたひとりきりになりました。
そして、また映画の続きを見始めました。

とても、今のこの国では、映画を見ることなんか出来ません。
映画館もつぶれてしまいました。
ビデオどころか、テレビすら無いのです。

その男は、昔平和だった頃、映画が大好きでした。
毎日のように、テレビでやる映画をみたり、スクリーンで見たり。
そして男は泣き、笑い、照れたりしていたのです。
その男はほんとうに、映画が大好きなのです。

戦争が始まって、映画が見れなくなって、男は胸が張り裂ける思いでした。
でも彼は映画を今も見ているのです。
そう、映画の思い出の中で。
目を閉じれば、自分でも不思議なくらい、流れるように画がうごきだすのです。
寝転べば、曇り空は大きなスクリーンです。周りに高い建物なんて一つもないんです。
みんなくずれて、なくなってしまったから。
静かな昼に、頭の中では大音響のステレオであの音楽が流れ出します。

「ああ、そうだ、このシーンが好きだったんだ。」

男は、目を閉じました。
彼の意識は、大きなスクリーンに向けて飛んでいったのです。


end

[作品解説:先日亡くなった淀川さんといえば、映画。もし、彼が映画を見れない状況になったらどうしていただろう。そんな想像で描いてみました。]

追悼:淀川長治氏
それはもう、好きな人でしたけど、思いでといえば少ないものです。
笑ってしまった思いでが一つ有ります。
ホラー映画の、終わった後の彼の解説でした。
「いやぁ、こわかったですね、こわかったですね、みなさんはどこがいちばんこわかったですか。…私ですか?」
という語りがあって、これは
「どこがいちばんこわかったですか。(淀川さんはどこがこわかったの?という質問があったという前提で)…私ですか?私はですね、……というシーンですね、」
とつづくんだけど、私と弟は
「どこがいちばんこわかったですか。わたしですか?(わたしが一番恐いって?そりゃないですよ)」
という意味だと思ってしまったのだ。
たしかに、終わったら突然ぱっとでてくるから、怖かったかもしれないけど。
…こんな思い出ですいません…。
近年、私の好きな人がドンドンいなくなる傾向にある。
いやだなぁ。悲しいじゃないか。