※今回ももちろんフィクションです。

ドラえもんを待っている

 1970年代から連載されている「ドラえもん」という漫画が好きだった。
勉強も運動も苦手で、怠け者ののび太少年のもとに、子孫が未来からロボットを送り込んできた。
ロボットが未来の便利な道具を持っていて、その道具でいろんな悩み事を解決したり・楽しく遊んだりする内容で、
僕は大好きで何度も読み返していた。

 ドラえもんがやってきたことで、のび太少年の未来は明るくなったらしい。
そんな望みのある物語を、僕はうらやましく思いながら読んでいた。
そして、僕もドラえもんを待っている。

僕がのび太少年よりも、ずっとだらしなく情けない少年だからだ。
子供のうちから遊ぶことすらきらいで、外に出たって石を投げられるだけだ。
僕は普段から嫌われていじめられているから、誰かに話し掛けても無視される。
のび太がジャイアンにいじめられているだなんて、いじめを知らない人間の変な同情心だけだ。
のび太はいじめられてなんかいない。ただ仲の良い友達と関わりあえているだけじゃないか。

僕が自分の存在を感じるのは、石を投げられるときだけだ。
明らかに自分めがけて投げられた石を拾ってみつめれば、誰かが僕の姿に気づいて、僕に向かって
投げてくれたんだと頬が熱くなる。

もちろん勉強も苦手で、スポーツもイマイチ本気になれないし、のび太よりずっと劣った自分に嫌気がさしていた。

 このままだと、自分のせいで何か迷惑をした子孫が、僕のところへドラえもんを送ってくるぞ。
ドラえもんが来てくれるかもしれない。そう思ったら、なんだか気分が明るくなって、
ダメな自分でも良いやって思えた。

 そして僕は中学生になった。
ドラえもんはとうとうこなかった。中学にもなった少年に、いまさらドラえもんを送り込んだりしないだろう。
僕は少し残念だったが、それ以上に未来が明るく思えてきた。

 ドラえもんが未来から、僕のもとにこなかったということは、
僕の未来は明るいぞ。過去を修正しなくても、子孫達は楽しく不自由なく暮らせているに違いない。
僕は未来に成功するんだ、そう思うと毎日が苦しくても何とかがんばれるんだ。


 結局、僕の人生は、僕一人がなんとか食べれるぐらいの細々とした稼ぎで終わった。
未来も何も、僕には子供どころか奥さんもいないんだから、子孫に迷惑はかからなかったんだ。
ドラえもんが来るわけがなかった。

 だけど幸せだなぁ、振り返ると僕はちっともいいことのない人生だったけど、
この寂しさと不幸は連鎖することなく、僕だけで終わるんだ。
少年のとき、僕はドラえもんを待っていた。
ただそれだけから始まった、僕の未来への希望は、結局僕の人生を明るいステキなものに変えてくれていたんだ。

end

(c)AchiFujimura 2004/10/8 この物語はフィクションです。(一応、念のため……)