otaku
世の中の膨大な情報はすべてコンピュータ内に存在するので、人間は専門的な知識を必要としなくなりました。
知りたいことはすべてコンピュータで調べることができます。
必要とされる技術は、コンピュータから情報を引き出す能力です。
大学入試も、入社試験も検索テストが中心です。
もちろんそんな世界でも、たくさんの知識を頭の中に蓄えている人々はいるのですが、
無駄な知識に脳を使っている……とさげすまれていました。
人間の脳は知識を蓄えるためにあるのではなく、コンピュータをたくみに操作するためにあるのです。
それ以外の知識はコンピュータに任せておけば良いのです。
小さな島国に住むこの若者も、同じ考えでした。中学生程度の知識があれば、それ以上のことはコンピュータに
任せればいいのです。また、若者は大変検索能力に長けていましたので、まわりからもてはやされて鼻を高くしていました。
たまに見かける無駄な知識を頭に宿している人を、若者はバカにしていました。
頭が空っぽであるほど、将来性があるのでもてはやされるのです。
コンピュータ以外の無駄な知識ばかりを勉強した人のことを、昔の言葉からとって、otakuと呼んでいました。
otakuの知識は本当に無駄なものばかりで、彼らがしっている知識を彼らが思い出すよりも早く、
若者はコンピュータからはじき出してしまいます。
どんな難題もコンピュータには必ず答えが入っているものなのです。毎日の料理も、家事も、移動も、なにもかも
コンピュータ任せが普通です。
そんな地球をのっとることは、宇宙人にはたやすいことでした。
重要なコンピュータをいくつか物理的に破壊しただけで、地球人の知識はすべて消え去ってしまったのです。
人々は宇宙人の地球人狩りから逃げ惑い、小さなほらあなに身を寄せて震える毎日を過ごしていました。
あの島国の若者も、ほらあなで見知らぬ人と一緒に暮らしていました。
旅行先での遭難だったので、周りには誰一人知っている人は居ません。
コンピュータさえあれば誰の顔と名前だって検索できるのに。
「うなぎとウメがあるんだけど、一緒に食べるとダメなんだっけ?」
「うなぎってなに?」
みんながみんな混乱しています。コンピュータが動いていないと、なにもわかりません。
「あなたは、何処の出身ですか?」
若者に、一人の女性が話し掛けてきました。若者はいままでおとなしくしていたのですが、小さい声で自分の出身を告げました。
「えーっと、ランゲル・ハンス島です」
若者は自分の住んでいた美しい島を思い出して、少し涙ぐみました。
「ランゲル・ハンス島? 知らないなぁ」「うん、知らない」「島?」
「そんな、けっこうまとまった諸島なんですよ」若者はあせって少し大きな声を出しました。
「ショトウってなんだ?」「あやしいなあ、本当に地球人?」「そういえば少し言葉がなまってるな」
若者はうなぎのことは知っていました。前に検索したときに、その形のユニークさと生態の謎に引かれたのですが、
otakuになるのはいやだったので、うなぎのことは忘れようとしていました。
ここではうなぎと同じぐらい、自分の島のことは知られていないのです。誰も自分の島を検索したことはなさそうです。
美しくも怖くもあった、絶壁と青い海、砂浜と光る貝も、誰も知らないのです。
言葉にもならない知識は誰とも共有できない宝物だったことに若者は気がつきました。
「僕 知ってるよ、ランゲル・ハンス島。小さいけど美しい島々だよね、ゾーモツ海の西の方に点在してるんだよ」
一人の青年が笑顔でひざをかかえながら、てれたように言いました。
「僕、地理otakuだったんだ」
若者は嬉しくて震えて、声も出せずに青年のほうを見ていました。
「人口は3000人!」 「ああ、そうです」 「面積は66平方キロメートル!」 「そうなんです」
たしかに地球に存在するらしいことがわかったので、ほらあなの人もみんな安心しました。
若者は涙を拭いて、こんどは自分の持っている知識を話し始めました。
「うなぎっていうのはですね、全長約1メートル、背びれ・尾びれ・腹びれは一枚になっていて……」
end
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(c)AchiFujimura StudioBerry 2005/7/29