みんな
「パパ、ぼく、このおもちゃが欲しいんだ」
五歳になる息子が、私のズボンをひっぱりながらおねだりしました。
普段欲しがらない子なので、私は息子の肩に手を置いて「どうしてそれが欲しいんだい?」と聞きました。
「みんなが、このオモチャがかっこいいって言ってたんだ」
ついに、この日が来たか。息子が他の子どもと一緒でないと安心できなくなる日。
「あのね、みんななんていないんだよ? 本当にほしいものなら買ってあげるからね」
「でも、みんなが……」
「みんなっていうのは無いんだよ」
息子はそのオモチャをあきらめたようだったので、ひとまず安心しました。
みんななんていない。それは周りしか見えていないときの幻想だ。
その見えている「みんな」すら、実は幻で、子どもはその幻にしばしばはまり込んでしまう。
「みんなが好きなんだって、このズボン買ってよ」
「みんなが良いって言ってたから、あの映画見に行きたいんだ」
「みんなが僕の髪型かっこいいって言ってくれたよ」
大きくなってからも、たまに息子が嬉しそうに話しているのを聞きました。そのたびに私は、
「みんな、みんな言うな! 私はみんなというのはきらいだ!」としかりつけていましたので、
最近は母親のところに相談に行くようです。
「……今度遊園地に行くんだ……みんなが行くっていうからさ……」
母親にそう言って、お小遣いをもらってる姿に気がつきましたが、もう何も言いたくありません。
息子は中学生にもなって、みんなが行くというから遊園地に行くのです。
なんと主体性のない男だ。ママも叱ってやったらいいのに、ニコニコ笑ってお金を握らせているだけだ。
大学生になっても息子は「みんな」の言うなりになったように、
「みんなと同じ大学にした」
「みんなと同じサークルに入った」
「みんなとカラオケに行ってきた」
と笑いながら母親と話している声をたまに聞きました。私は息子が心配でたまりません、
あの子はどれだけ狭い世界で生きているんだろう。
ある休日の午後、どこかへ出かけていた息子が帰ってきました。
「あら、いらっしゃい」母親が誰かにそう言っている声が聞こえた。友達でも連れてきたのかな?
「こんにちは、おじゃまします」
明るく元気そうな女の子の声がきこえて、私のいるリビングに息子達がやってきた。
「父さんは、好きじゃないみたいなこといってたから、今日は連れてきたんだよ」
「こんにちは」 彼女は緊張した様子で私に頭を下げた。私もすこし立ち上がりかけると、
「幼稚園のときからのおさななじみで…… 今は僕の彼女なんだ」
「はじめまして、私、鈴木みんな…と申します」
end
(c)AchiFujimura StudioBerry 2005/8/20