恋しちゃった
ピンクの服をフリフリと着込んで、キラキラとした化粧きらめかせて、
それでも家の中でクッションを抱きしめながらあらぬ場所を見ているひとりの女性がいました。
何も手につかず、ご飯もノドを通りません。
手にはお気に入りの黒く光るボールペンだけを握り締めていました。
玄関のチャイムがなったので、女性はクッションを放り投げてドアをあけました。
「先生、原稿の進み具合はどうですか。もう締め切りも近いのですが」
ドアの前では青年が封筒を小脇に抱えて笑顔でたっていました。
女性はため息をついて、また部屋に戻り、クッションを抱きしめました。
「全然、進んでいないの」
「困りましたね、アイディアに詰まっているんですか」
「詰まってるとしたら私の胸かな……」
「それはどういうことですか」
青年が訪ねると、女性は青年のほうを向いてつぶやきました。
「私、小説が書けなくなっちゃったのよ」
「先月の『ホラー大全 グロテスク大会9月号』に掲載された作品はすばらしかったじゃないですか。
あんなに猟奇的で気持ち悪い小説は初めて読みました。編集部でも評判良くて、担当の僕も
なんだか嬉しくって」
青年はおおげさなぐらい、身振りを使って嬉しさを表現しました。
「そう、私はホラー小説家なのに、恋をしちゃったみたいなの」
「なるほど、恋ですか」
「ペンを持てば、この恋についてしか沸いてこないの。
書きたいものは全部、カレと私のことばかりなの。
私どうしたらいいのかな」
「簡単な事ですよ、その思いを小説にぶつければいいのです。
ラブレターを書いたらいいのですよ」
本当に簡単そうに、青年は言い切りました。
「なるほど、ラブレターか」
「そうです、ラブレターです」
こうして女性の新作ホラー小説が仕上がりました。
女性小説家が雑誌の担当編集者に恋をし、すべて愛されたいがために行動し、
果てには猟奇殺人者になっていくお話です。
愛されるにはなにかが凄くなくちゃ、でも私には何もない。小説もなかずとばず。
それなら殺人をするしかないわ。カレの周りの女の子たちが絶対やらないことを
やって見せなくちゃ、カレに愛されるわけが無いわ。
そして何人殺してもまだたいしたことが無いような気がして、記録に残るほどの
殺戮を繰り返す血みどろのホラー小説です。
読み終わって原稿を揃えなおしながら、青年は言いました。
「いやあ、おそろしいですね。こんなにおそろしい小説はなかなかないですよ」
女性小説家はキラキラした目で、青年編集者の感想を聞いていました。
「それで、どうでした?」
「すばらしかったですよ」
「ラブレターを……」
「ラブレター? なんのことです? それにしてもこの主人公の女は切ないですね。
こんな愛情表現は受け入れられるわけが無いのに、それに気がつかないんですね。
私がもしこんな女性に愛されたら本当に気味が悪くて仕方ありませんね。おそろしい」
青年はブルブルと震えながらそう言いました。
女性小説家はガックリと肩をおとして、もう一度小説の原稿を手に取りました。
そして最後の結末を、担当編集者は主人公の女性の気持ちに気付かなかったと書き換えました。
青年は目を輝かせて、
「ぐっと切なさがアップしましたよ! これはきっと評価される小説ですよ!」
と、女性をみつめました。
「ありがと」
女性は少しだけ笑って、そう答えました。
end
(c)AchiFujimura StudioBerry 2006/9/19
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