死んだ事にする

 僕は僕の書いた傑作の小説が、なぜ世間に認められないのかということを、常に考えていた。

 そしてひとつの結論にたどり着いた、それは僕が「生きている」からだ。
世の中の創作物には、作者が死んだということをきっかけにしたり理由にして、
たいしたことのない作品が売れたり高値になっていたりする。
簡単な話、僕も死んだら僕の小説は人気が出るだろう。なぜなら傑作だからだ。

 そこで僕は死んで見ることにした。もちろん本当に死ぬのではなく、あくまで
「死んだ事にする」のである。
幸い、僕は家で小説ばかり書いていて、仕事もしていなければ両親ももういないし、
兄弟も親戚もいない。
わずかばかりの遺産を喰いつぶして生きていたのだから、僕が本当は生きていても誰も気がつかない。

 「若くして死んだ弟の小説が出てきました。ぜひ彼の心の叫びを聞いてください」
僕はそう言いながら、街頭でプロモーション活動をした。見本を配ったり、
新聞へ投稿してみたり。

 そうするうちにあちこちから取材を受け、
「ひっそりと生きてきた兄弟の切なさが作品ににじみ出た傑作」と煽られ、
出版社も決まり、あっという間に「死んだ弟」の作品が読まれるようになった。

 数冊の短編集などを遺作として発行し、それ以上は死んだ弟の作品が出続けてもおかしいので、
打ち止めにすることにした。
「この人が死んでいるなんて」「惜しい人を無くした」「世の中不公平だ」
みんな、涙を流しながら「死んだ弟」を惜しんだ。

 弟の兄として取材を受けつつも、あまり顔を出す事をしなかった僕は、もう一度
「死んだ事にする」と決めた。
「姉が書いていた日記です。病弱で部屋にいながらも明るい未来を思い描いた作品です」
それはまたたくまにヒットした。

「この人がいないと思ったときに、この作品はかけがえのない宝石のように感じました」
有名な批評家がそう評したのを、僕は笑った。
「あははは、あは、あはは」
批評家は分かっているのだ! この僕の作品に「作者の死」以外の価値が見出せない事を!


 そのようにして僕は一生のうちに十回ほど「死んだ事にして」、その傍ら小説も書き続けた。
しかし、結局、僕の作品は「生きている間は日の目を見なかった」のだった。

end

(c)AchiFujimura StudioBerry 2006/12/9


ショートショート「ブラックドウワ」目次へ戻る
ショートショート目次