父の日と息子
「父の日のプレゼントはもう用意できましたか?」
テレビから明るい声が聞こえて、私はムッとしてしまった。
私の父はもう十年以上前に亡くなっているので、「父の日」ということばからは、
私の三十歳も過ぎた一人息子のことばかり連想してしまう。
小さい頃は私とよく遊ぶかわいい息子だった。
しかし中学・高校と無口になり、大学も中退し、家にもあまり帰ってこず、
最近はなにをやっているのか朝から晩まで帰ってこない。
最初のころこそ「どこへ行っていた」「何をやっている」と尋ねたが、返事もなかった。
父の日に孝行なんぞしてくれるような息子ではない。
一番最近の会話は、一ヶ月前に借金の支払い明細が送られてきたことに対して私が怒鳴りつけ、
いつものように「うん」とか「わかった」と小さく息子がつぶやいたあの日なのだ。
テレビでは毎日「父の日」を連呼し、なんとか母の日のように市民権を得ようと
商業活動が盛んに行われていて、気分がわるい。
私はテレビを見るのをやめ、部屋の片付けでもしたほうがマシだと書斎にこもった。
机の引き出しに「おとうさんへ」とつたない文字で書かれた手紙が入っていた。
それは息子が小さい頃に作ってくれた、十枚つづりのかたたたき券で、
「そういえば一枚しか使わなかったな。まだ小学校低学年の息子のかたたたきで肩がほぐれる
はずもなく、ありがたい気持ちだけで一回お願いしたんだ。あと九回か……」
このかたたたき券を今 使ったら、あいつどんな顔するだろう。
ちゃんと肩をたたいてくれるかな。もしかしたら怪訝な顔で無視されてしまうかもしれない。
笑顔で肩を叩いてくれて、「オレ、最近さあ……」となにげない近況を話し合える図と交互に
不安も感じて、へんな気持ちになるのであった。
その日は夢の中で、あの小さかった息子のこぶしが、一所懸命に肩を叩いてくれる感触を思い出した。
息子の手が届きやすいように背を丸めて、父も頑張ったんだよ。
夢の中では息子がもうひとり目の前に現れて、「どうして一枚しか使ってくれなかったの?」と
私に問いかけた。私が返事をしようと顔をあげると、そのまま目が覚めてしまった。
父の日になって、なるべくいつもと変わらない休日を過ごしていた私に、
妻が「今日はあの子帰ってくるって、さっき電話がありましたよ」と声をかけてきた。
「帰ってくるのか。電話があったって? めずらしいな」
私は無関心を装いながら、書斎の引き出しから「かたたたき券」を取り出し、胸ポケットに
潜ませた。
「ただいま」
相変わらず朴訥な、抑揚のない喋り方で息子が帰ってきた。
「おかえりなさい! 帰ってくるって言うから、から揚げ作っておいたわよ」
「ありがと」
母親とは意外に会話を成り立たせている様子だった。
くつを脱いで玄関から上がってきた息子の前に立ちはだかり、
「おかえり」と私から声をかけた。
「ただいま、父さん」
息子の声がさっきより少し明るく感じて、一瞬胸ポケットからかたたたき券を出そうとする手が止まった。
「今日は父の日だろ? プレゼント持ってきたんだ」
息子が持ってるバッグから、封筒を取り出した。
封筒を開けると、それは近くにオープンしたばかりのマッサージ店のチケットだった。
「こないだ、ようやく自分の店を持てたよ。父さんの肩もマッサージするから店においでよ」
私は声も出ず、息子の顔を見つめていた。
「昔、かたたき券作って渡したのに、ちっとも使ってくれなかっただろ。
もっと上手になって、喜ばせたいってそのとき思ったんだ……」
私はなんだか泣いてしまいそうな感情を押さえて、近くで見守っていた妻にその券を渡した。
「これは母さんがつかいなさい」
「なんで! それは父さんが使えよ、母さんにはまた別で渡すんだからさ」
慌てて阻止しようとする息子に、私は胸ポケットのかたたたき券を差し出して言った。
「私はこれを使うから、いいんだよ」 「……OK、これも有効期限は無いからね」
ひさしぶりに家族全員で笑った。
end
(c)AchiFujimura StudioBerry 2007/06/23
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