鳩が帰ると夏の終わり
八月が終わるということは、毎年繰り返される祭りのにぎやかさと、どこかさびしい夕暮れの雰囲気でわかるというのに、
今日は日陰すら人々の熱気であふれているのか、じめじめした暑さを感じてとても耐えられそうにない。
もうすぐ陽が落ちて、夜は多少涼しくなるのだから……それまでの数時間をしのぐことに集中すればいいのだ。
幸い私はハトであり、少し飛べば熱された地面から遠い梁の上などに隠れることが出来る。
けれど今日の暑さは上空にも耐えがたい温度の空気を持ち上げてきて、涼しい場所がなかなか見つからない。
揺らぐ意識の中で私は、列車が通り過ぎるときの風を楽しみに、駅のホームを歩くことにした。
祭りのせいで人が多く、よけて歩くのも精一杯。ホームをうろうろしていたら、暑さで頭がボーっとしてきた。
涼しい風が吹いてきた気がして、私はふらふらと風の方へ向かった。この冷風を逃すまいと、からだに浴びながら進んだのだ。
冷気が続いて、冷静になった私は周囲の変化に気がついた。
ホームの人々がいなくなっている。
いや、私がホームではない場所へ来てしまっている。
ここはもしや、列車の中ではないだろうか。
不自然に冷たい空気、触ると氷のような冷えた網棚。
楽しいつり革。そうだここは列車の中だ。
列車は動き始めている。外に出ることが出来ないことに気づいた私は、とりあえずおちついて扉の近くにいることに決めた。
冷たい空気はうれしいが不自然すぎるし、次の駅でさっさと降りてマイホームへもどろう。
繰り返す規則正しい車輪の音、鉄がぶつかる音を聞きながら目をつぶった。
隣の駅には飛んでいったこともある。もっと遠くへも行ったことがある。大丈夫だ、帰ることはできる。
少しずつ間隔を早める車輪の音に不安を感じて、目を開けてみると、窓の外は暗くなっていた。
「さっき夕暮れ前だったのに、もうこんなに暗く? まだ隣の駅に着かない?」
私が飛ぶよりも時間がかかっている。
周りを見回せば、あんなにたくさんの人がホームにはいたのに、この列車にはあまり乗客がいない。
みんな疲れて魂が抜けたように、私のことも目に入らないといった感じで肩を落として座っているのだ。
長い時間がたって、ようやくどこかにたどり着き、列車のドアは開いた。
全員がここで降りる様子で、私もとりあえず列車から降りた。
暗くて街灯もない、トンネルのように見える場所で「そうか、もしかするとこれが地下鉄かもしれない」と私は思った。
地下鉄に紛れ込んで、二度と帰ってこないハトが多くいる。戻ってきたハトはこう言った、
「戻るには人間についていけ。人間は必ず外に出るから」
遠い、知らない場所かもしれないけど、私も人間について外へ出ることにした。
聞いたこともないような、大きな鳥の鳴き声が聞こえる場所へ出た。
身をすくめて首を回し、あたりを確認すると、あちらこちらで火が燃えている。
そこへ裸の人間たちが歩き回り、煮えたぎった赤い池の中に飛び込んだり、でっかい有刺鉄線のような山を
(そうだ、私たちを寄せ付けないように、駅に置いてあるハリに似ている)
傷つきながら歩いたり、先ほどの大きな鳥についばまれたりしているのだ。
ウマや牛のような頭をした怪物もうろついている。
水気のあるほうでは、正気ではない表情の人間が、ひたすら石を積み上げる単純作業を繰り返している。
私はおそろしくて、上空を飛んだままどこへも着地する気になれず、ひたすらぐるぐると旋回していた。
「こっちだ、きっとこっちだ」私の本能が冴える。何も見えないけど、そちらが私の帰りたい場所に違いない。
まっしぐらに飛んだ。目は閉じていた。人間から遠くへ! 人間から遠くへ!
列車の音が聞こえる気がした。
「どうしたんだい。だいじょうぶかい」
私は友の聞きなれた声を聞いて目を開けた。
友が数羽、私を囲むようにして集まっていた。
「暑さでやられたのかな。ホームにやってきたと思ったらうずくまったまま動かないし、息は荒いし、心配したよ」
ここはあの世界ではないのか。いったいあの場所はなんだったんだろう。本当に私は行ってきたのか? それとも?
「あはは、前に豆鉄砲食らったときと同じ顔をしてるぜ」
友が笑った。
列車に乗って行ってきた場所のことを思い出したとき、夜の空気が動いて背筋に寒さを運んできた。
夏が終わる!
end
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