透明の輪郭
中学生の頃の僕は、透明な存在になりたくて、休み時間も授業中も息を潜めておとなしくしていた。
何もしていない僕を、彼らは不快害虫かのように見つけ出して、存在が不快だとアピールしてくる。
僕に出来ることはない。
彼らに見つかってはいけない。見つかったら不愉快だと指さされる。
先生に誉められてもいけない。派手な小物も持たない。目に入れば不快なんだろう。
暗闇の中で光って見えているのかというぐらい、何をしても文句がつく。
僕はいっそ、ぼんやりとして、溶け込んで、景色のようにだれからも気にされない透明人間になりたかった。
高校生になったらひとりひとりの輪郭がはっきりしたのだろうか、僕のことを不快だという人間はいなくなった。
中学生たちはゆらゆら揺れてひとかたまりになったり、また分割したりが繰り返されていたから、
輪郭を形成する端っこにいる人間は奇異な存在に見えたんだろう。
それぞれがそれぞれの輪郭を持ったらだれも嫉妬しない。
輪郭を持たない人間だけが嫉妬するのだ。
社会人になったら輪郭はさらにとがって重ね合わすこともできない固い殻になり、他人と融合する隙は無いぐらいに見えた。
僕も大勢と同じく、自分の輪郭を光らせたり磨いたりすることで、他の人と違う形を作ろうと努力した。
でもある日、社会の中で僕の輪郭は存在感がないということを知ってしまった。
僕が何かするたびに、宝石や砂金のように見つけ出して、すばらしい唯一無二の存在だといってくれている気がしていたのに。
僕の行動に「いいね」もつかなくなった。食べたものもだれも気にしてくれていない。
僕の食べたこのディナー、どこで食べたのか知りたくないの?
あのスポーツ選手に対する僕のとがった意見を知りたくないの?
僕はとうとう気づいた、みんな僕のことは知っているけど、存在をミュートしているのだ。
僕の言葉も姿も写真も誰にも届かなくなっていた。
つまり透明人間が完成したということだ。
もう一度輪郭を得て、通りすぎられないような存在になるにはどうしたらいいのか。
大人になってしまったからわからない。
透明な輪郭だけが僕に残されている。
end
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