「やぁ、どうだい。かーくんの調子は。」 「相変らず、自分のことを車だと思い込んでます。」 「ブー!!」 「やぁやぁ、どうしたんですかかーくん。」 「なにか、対向車が無謀なカーブをしたみたいですよ。大変怒っています。」 「プ、プー」 「今度はどうしましたか。」 「呼んでいるみたいです。あのクラクションは普段よりやさしいですから。」 おかあさんと先生はかーくんのそばに行きました。 かーくんのひざは擦り切れて、手のひらもずっと地面についているのでまめで硬くなっています。 「本当に車なら、タイヤ交換をしてあげたいんですけどね。」 12畳ほどの広さがある応接間で、おかあさんがため息をつきました。 「タイヤ交換より、自分が人間だということを教えてあげないと。」 「でも、この子は生まれた時から自分を車だと思っていますし、 人間だということを感じたことすらないようです。」 「むかしは、人間だということをきちんとわからせて、 人間らしく育てたいとおもいました。でも、最近はそんなことどうでもいいような気がします。」 「どうしてですか。」 「この子は、たまには乗ってあげないと悲しみます。 たまにオフロで洗ってあげると、とても喜びます。 ああ、車も本当にこうやって喜んだり悲しんだりするのかもしれない。 だから、車を愛する人々が多いのかもしれない。 だったら、車になってしまった我が子でも、愛することの根っこは一緒だと思うんです。」 先生も、かーくんは車のままでいいんじゃないかとずっと思っていました。 でも、それを異常と思う人が多い世の中で、かーくんが車をまっとうするのは難しいことだと感じました。 「私も、かーくんとおかあさんを応援しますよ。 …今度、かーくんの洗車にきてもいいですか。」 「まぁ。きっと喜びますよ。」 先生はかーくんに出会ってから、車のことをもっと大事に想うようになったのです。end |