あの子は貝の中

 中学二年生のシエルくんは、ちょっと具合が悪くなったので病院に行きました。
シエルくんのことを大事に思っている家族のみんなは、とても心配しました。
でも、「たいしたことないよ」とシエルくんは笑顔です。
不安な顔のお母さんとおねえちゃんは、病院へ向かうシエルくんとお父さんを玄関で送りました。

病院からお父さんが、電話をくれました。
「シエル、ちょっと検査入院をするって。二〜三日で帰るから、一旦俺だけ戻るよ。」
お父さんは、受話器をシエルくんに渡しました。
「あ、もしもし、シエルです。なんだよ母さん、心配しないで。たいしたこと無いって。
すぐかえるから。……そうだ、やべえや。あしたあれの発売日だ。漫画。僕の好きな奴。
……本だなのぞけば、十七巻まで揃ってるやつだからすぐわかるよ。買っといて。うん、お願い。」

三日後、お父さんがシエルくんを迎えに行きました。
ちょっと帰りが遅いようです。
「何かあったのかしら。シエルの検査は悪い結果だったのかしら?」
お母さんは買って来た漫画の十八巻を手にとって、見つめていました。

「……ただいま」
お父さんの声です。おねえちゃんとおかあさんは、玄関に行きました。
お父さんのとなりには、大きな貝。
シエルくんの姿は見当たりません。
「シエルは?」

「シエルはこの中に入っちゃったよ。」
お父さんは貝を指差しました。
「お医者さんの判断でね、シエルの病気はとっても重かったから、
この貝の中で療養が必要ですって。」
お母さんとおねえちゃんはわんわん泣きました。
「泣くなよ…。……、…治ったら、出てくるんだから」
お父さんが下がった眉をいっしょうけんめい上にあげて笑顔を作りました。

おねえちゃんはなにかを察して、お母さんの肩を抱きしめると
「そうよ、治ったら出てくるんだったらいいじゃない…ね、おかあさん。」
と呟きました。

お父さんもおねえちゃんも、お母さんがどれだけシエルを大事にしているか、
お母さんが自分たちを大事に思っていてくれてるかを良く知っているのです。

「シエル、約束の十八巻よ」
お母さんは、部屋に転がっている大きな貝に話しかけました。
その日はずっと、貝を撫でていました。

「シエル。こんどは三十二巻よ」
漫画も三十二巻になりました。積み上げて山が出来ていました。
「シエル。あの連載終っちゃったけど、また同じ人が新連載はじめたわよ。
お母さん、新しい漫画の方が好きだな。おもしろいのよ。
内容ばらすとあなたおこるから、これ以上言わないけど?」
貝は今日も黙っています。
お母さんが撫でたり磨いたりしたので、ピカピカ光っています。

お母さんだって、たまには貝のシエルくんがかわいそうでつらくて、
泣いてしまいます。シエルくんに聞こえないように遠くの部屋で。
でも自分に言い聞かせるのです。
今日もたくさんの人が亡くなって、その数倍の人が悲しいなみだを流している。
私は幸せだ。大事な息子は、この貝の中で生き続けている。
きっとあの子も、この貝の中でつらくてくるしい事を頑張っているんだ。
そして今日もしぼったタオルで、貝を奇麗に磨いてあげるのです。

シエルくんが貝の中に入ってから三十三年が立ちました。
お母さんが、貝の隣でしずかに息を引き取りました。
おねえちゃんはワンワン泣き、お父さんはうな垂れていました。
「お疲れ様。オマエも、ご苦労だったなぁ。」
お父さんが貝を静かに撫でました。

実は、貝の中身はシエルくんと同じ重さの人形だったのです。
シエルくんは具合が悪くなった三日後に亡くなり、その二日後には荼毘に付されていたのです。
「お母さんをだまし続けたのは、心が苦しかったけど」
「あれで良かったのよ」

「あ!!」

お父さんが貝を開けた時、二人は驚きの声をあげました。
貝の中の人形は、きちんと背広を着ていたのです。


end