ものごとをおぼえていることが、 私の体をこわそうとしています。 あたまのなかだけではなくて、 つめのさきまできおくがしはいして 私をおさえつけているのです。 それで、わすれるくすりをのんでいます。 つぎの日には、こわかったこともかなしいことも、 つらいこともわすれます。 私はかろうじて、「つぎの日も生きていること」を 覚えているのでなんとか暮らしています。 でもある日、歌を聴きました。 歌は私のつめのさきまでしはいして、 とてもいいきぶんにしてくれました。 つぎのひには、そのことも忘れていました。 ただ、歌は私に気持ちよかったきおくだけをのこして くすりより大事なものになったのです。 にがした魚はずるいです。 私におおきなてごたえの余韻だけのこして、 自分は遠くにきえてしまうのですから。 また、歌を聴く日がやってきました。 わすれたくない。でも、つらいことがこわい。 私はくすりをえらびました。 すてきな歌が終わったあと、私はなみだをながしました。 この歌をわすれてしまう自分が、くやしくて。 end |