ゲームの中の「死」をどう感じるか 今回は重いテーマです。申し訳ない。 最近、少年犯罪や「死を軽視している若者」を指して、 「ゲーム世代だから」 そう言われます。 理由は、「主人公が死んでもすぐ生き返る」ということらしいです。 私もゲームたっくさんやりました。 今はやらないけど、それはゲーム機とテレビがないからであって、 それがあって自分の好きなゲームがあれば暇な時とか(ムリヤリみつけて)ゲームに興じるでしょう。 でも、人の死を軽視したことはありません。 それどころか、思い出してそのまわりの心情を察するだけでなみだが出ます。 死はあまりに悲しい出来事です。 そういえば、こんな事が有りました。 クリスマスにドラクエを買ってもらって、(3だったかな)早速弟と一緒に遊んでいました。 もちろん、起きていてご飯やトイレじゃないときはずっと画面を見つめていました。 そんなことが数日つづいて、年末で忙しくなったある日のことです。 勇者が死んでしまったので、「あーあー、しんじゃったぁ〜」と呟いたら 親に「今、そんな事を言うんじゃない!」と怒られてしまいました。 私は詳しく知らなかったのですが、親戚が危篤状態で大人達は心配して、気をもんでいる最中だったのです。 そのことを後で知って、「たしかにそうだ。私、気軽に言ったけど…」と赤面しました。 ゲームをやっている自分を良く思い出すと、いろんな事が分かります。 結構泣いているんです。ストーリーのあるRPGなんかで、なぜか途中で主人公の周りのキャラが死んでしまったりするんですね。 そうすると、主人公が死んでも何とも思わなかった私が、ぼろぼろ泣いてしまうんです。 「なんで死んじゃうの〜!」 ここで、こう思うわけです。主人公=自分、そのまわりの動かせないキャラクター=周辺の人…と、。 自分である主人公が死ぬと、そこで物語は終りますよね。 もし自分が死んでしまったら、クヤシイ、後にのこしたみんなが心配、 そう思っても自分自身の死についてなみだを流す割合は少ないですよね。 でも、他人がもし死んでしまったら、何が何だかわかんない。でも無条件で悲しい。嫌だ。 そう思ってしまいます。 だから、ゲームで主人公がバンバン死んで、生き返らせるとします。 それは自分の死で物語が続かなくなってしまうので、「ゲーム」という枠の中の物語を終らせるために 死の少し前からはじめるということなのです。(パーティーが生き残っていて、仲間を生き返らせるという時は少し違いますが…) ゲームの中における「主人公を生き返らせる」と言う行為は、「死んだ人間を生き返らせる=死なない」のではなく、 「傷ついた人間を治療する」程度の事と感じているわけです。(言葉はどうであれ。) なので、「死んでも生き返らせればいいや」と主人公だけでなくまわりのキャラにまで思うような人間の性格が問題なのであって、 ゲームをやっている人間が「死んでも生き返る」「そして、死はたいしたことのないこと」と思うわけではないのですよ。 ちなみに、私の好きな「MOTHER」シリーズでは、主人公達は「死ぬ」のではなく、「気絶」します。 これならたしかに、治療する感じですよね。状態としては動けないし死んでるのと同じような感じですが… 「桃太郎伝説」なんかでも、敵はやっつけるものでなく「こらしめる」もの、になってますよね。 誤解を与えないような、適切な表現も大事かもしれません。 |