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やまなしのクラムボン(2004年12月12日の日記より)

今日更新したブラックドウワで、宮沢賢治の「やまなし」を登場させてみた。
「やまなし」は好きな話だ。小学生の頃教科書で読んで、何度も読んだなぁ。見える光と感じる温度と、 嗅ぐ匂いが何故だか懐かしい気がして、まだまだ冷たい小川に足と手を突っ込んで水面を見てるような気持ちになる。

やまなしに出てくる「クラムボン」が何かなんて、あまり考えたことがなかった。
カニの子ども達が「クラムボンはカプカプ笑った」と話しているんだけど、それはカニじゃない私にはわからなくても 別におかしくないというか、普段自分のブラックドウワでも、別に読者がわからなくてもいい「読者にわからないことを 登場人物が喋る=読者に見えない世界も登場人物の後ろに広がっている」という基盤が出来ればいいと思って 造語やシチュエーションを書くことがあるので、(SFとかでもそういうの多いよね?)クラムボンもそういう意味で 雰囲気だけ読み取って、流しても問題ないと思うのだけど。

「クラムボン」「やまなし」で検索すると、「クラムボンとは何か!?」と考察したページがいっぱい出てくるし、 実際授業でそのように聞かれたことがある気がする。
大方「泡」「光」の比喩という意見のようだ。確かに、カニにとって、擬人化の比喩をしたつもりはなくても、 そもそも「笑った」という生き物的な行動すら、生物と無生物の区別もしていないカニなら泡や光に感じるかもしれない。

その後に「泡」は泡とカニたちが呼んでいるから、クラムボンは泡でないのでは無いとも思うんだけど、 諸説を読んでいるとおもしろいね。「クラムボン=人間の子ども説」はおもしろかったな。
中には授業で、「クラムボンとはプランクトンのことでしょう」なんていう解釈で決着した先生もいるようで、 それはそれでちょっと怖い。「クラスの1人がクラムボンは泡でないかと言い、あとの13人はプランクトンだといいました」 って、きっと最初に先生の解釈を言ってると思うんだよね。
泡だといった子は「反論は?」と聞かれて首を振ったそうで、多数決に自分が間違ってるんじゃないかと怖くなっただけだと思うんだよね……
先生は「プランクトンとクラムボンは、3文字も同じ文字があります」と説明しているし、なんだかおかしいなぁと。
解釈なんてのは正解を答えるもんじゃなくて、いろんな捕らえ方があるのを楽しむもんだとおもうんだけど、いかがか。

そういう意味では、クラムボン=プランクトン説もたのしんで良いと思う。
私の「読者に見えない世界もあるという基盤説」が一番ユメのない話だとも思うんだが(笑)

文・藤村阿智 (C)AchiFujimura 2004/12/13
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