【漫画の感想】イタズラなKiss

唐突にいま読んでる3巻の感想を書く。3巻というか、読み返してたら言いたいことができたという理由で書きますよ。

イタズラなKiss 

数少ない好きな少女まんがということで(というかどれもジャンルにしたらそんなに無いのかも……少女漫画をあんまり読めていない気がするので)
年に1回ぐらいは読み返しているのです。

私が読む少女漫画のほうでは新しい作品かもしれない、といいつつ、平成初期のマンガです。

有名作品なんでネタバレとか気にせず、あとネタバレとかで大枠がバレたところでこの作品の良しあしにはあんまり関係ないですよ。

衝撃の展開!という内容ではなく……と言うとそれもまた違う気がする、ひとつひとつのエピソードは「へえ!」「そう来たか!」という感じでわくわくするんですけど、どんでん返しとか予想を裏切る展開!とかそういうバレてるとつまんなくなっちゃうネタじゃなくて、ディテールを楽しむような感じ?

1巻の表紙からイチャイチャしてるじゃないですか。でも正直1巻のうちは全然イチャイチャしてないですよ。どっちかというと、男の子キャラ・入江くんはひどい男で、冷血で、あんまり人の心とかを考えるタイプではなく、冷めていて「どーでもいい」「頭の悪い人間嫌いなんで」みたいな感じで何にも興味がないわけですよ。とにかく感情が平坦で動かないタイプの人間なわけです。

逆に主人公の琴子は、補って余りある動きの多いキャラで、行動的で、好きなものにまっしぐらで、「やってみたい」って感じでどんどんやってみては失敗したりしている。凹んだりもするけどやっぱり挑戦するタイプのキャラ。

全編をとおして、この漫画の中では「入江くんが琴子に振り回されるうちに、感情を出したり、困ったり、対処したりしてどんどん人間らしくなっていく」という話なんですよね。琴子の成長……もあるけど、基本的には琴子がいかに入江くんをいい男に成長させていくかという話なわけですよ!!

すれちがい、勘違いや思い込みでうまくいかないこともあるけれど、そんなに長くズレっぱなしにならない(ここ重要、読んでて不安になっちゃうもんね)し、読者目線ではもうわかっちゃうんだよねこのカップルが「間違いない」ことがね。


物語としてはストレートに語られているようで、細かい技法には毎回気づかされてドキッとしてしまう。さりげないせりふ回しで、セリフの裏に隠れた本当の気持ちみたいなのが表現されていて、気づかなくてももちろん大丈夫だし気づくと「ああ、もうここでその気持ちが出てたんだ」とじーーんとしてしまう。

入江くんはもうかなり初期の段階で、琴子のことが好きでほかのやつになんか取られたくないって思ってるっぽいんだけど、本人も気づいてないんだよね。読者がもし入江くんに話しかけられるとしたら「入江くん、それはもう琴子のことが好きなんだよ」と言ってしまいたい気持ちにすらなるね!早く気づけ!!って思っちゃう。そこがいい。


気に入ってるのは、最初苗字で「相原」って呼んでたのが、ある時を境に「琴子」って呼ぶようになって、その後もう相原に戻らずずっと「琴子」なんですけど、その切り替えがほんとさりげなくて自然で好き。
他の男(ライバルのようで全然ライバルになれていない)・金ちゃんが、普段から仲良しだという立場から「琴子」って呼び捨てにしているのに対して煽る目的で「琴子にね」って言って見せた後は、ずっともう琴子。

呼び捨てイベントが作られてもいいぐらいなわけですが(実際ほかのまんがとかだと、呼び捨てとか名前で呼ばれる瞬間ってので1エピソード描いたりするよね)そういうこともなくさらっと。ああーーいい。


入江くんは「はっきり言うけど嘘はつかない」キャラなのですが、たびたび琴子にせめられて「なんか反応しなくちゃいけない」シーンになることがあるのですが、そのたび上手に?嘘にならないようにはぐらかしてるんですよね。そこがいい。

「あたしとまた住むのがイヤならイヤって はっきりいえばいーじゃない」
「意地悪? そうだよ おまえ見てるとイライラしてくるんだよ」
(文庫版3巻78p)

「住むのがいやならはっきり言え」という琴子の煽りに乗らずに
「意地悪がイヤだったら目の届かない場所にいけよ」とかわすわけですよ。
琴子としては「ガーン!ひどいこといわれた」という場面になるんですが、読者目線だと「琴子!入江くん一緒にすむのがイヤだって言わないよ!!」となるわけ……ですよ。こういう細かいずらしのテクニックを使って入江くんはうまいこと
「自分の気持ちをはっきり言わない、でも嘘はついてない」
という状態に常に持っていくわけですよ。

この会話劇はすごいと思うのです……もしかすると多田かおるさんはそれを計算抜きでやってのけてるかもしれない。計算しててももちろんすごいわけですけど。


この調子で、今回の読み返していくつ「会話の妙」に気づくことができるだろうか。いや~まだまだ発見があるなあ……

 

【漫画の感想】進撃の巨人28巻

ネタバレというほどのこと描かないけど、どういう展開になってるかまだ知りたくない人は読まないでおいてください。

「進撃の巨人」28巻読んだ!

楽しみにしているんですよ。28巻まで来てもまだまだ楽しみだね。

途中でやめちゃった人も結構いると思うのですが(私にも「こんなもんかな?まあ読むかな?」と思ってた頃があった気がする、でもどの辺だったかなあ)いつからかだいぶ盛り返してきて、ここんところずっと面白いですよ。

世界に大きな不思議や、説明のされていないところがたくさんあった進撃の巨人ですが、どんどんどんどん明らかになり、新たな謎も生まれ、でもそこも埋めていく感じで物語の密度が増していっていると思いますよ。

戦争だし、駆け引きや心理戦もあるし、だれがどこまで手の内を見せているかわかんない。それが少しずつ明らかになってきている。まだまだ分からないというか、だれがだれをだましているのか・どれが本当の話と本当の気持ちなのかがつかみきれないから、不安で仕方ないですけどね。

でもそういう「わかんなくて不安」「わかってすっきり」みたいな状態のバランスがいいというか、わかってすっきり「そうだったんだ」と思えるエピソードが書かれているから、わかんなくて不安なところも「きっと最終的には『そうだったんだ』て思えるんだろう」と、いまはわからないままにしておける感じがあります。あと思い付きで進んじゃってない感じであるところが、うまく「昔のこのエピソードの裏は実はこうでした」という納得のできる説明で埋まって行っているのでまだまだ期待しています。

28巻はジークさんの過去がちょっと語られる。あーあの事件、こちらから見たらこうだったけど、そちらから見たらこんな感じだったのね。という内容で、これまたすっきり納得の行く感じでした。

エレン方面はわちゃわちゃしてきたな。こっちは誰が味方で誰が何をしたくて何が本当のことで、どうすればいいのか全然わかんない。

ほんと、自分がこういう「サッと判断してどっちにつくか決めなくちゃ、しぬ」みたいな場面にいたら何もできずにどっちとも決められずにしにそう。反射神経が弱いんだよねえ。すぐ「エッエッ」っておたおたして、その間にころされそう。あかん。

 

おわりが見えてきたからこそ、1巻の冒頭の場面にどうつながっていくのかなって考えてしまう。つながるかわかんないけどつなげて終わるんじゃないかって……思ってるんだけど……

ストリートビュー散歩18 世界最北端の集落、のあたり

何処が最北端なのかイマイチはっきりしないし集落、人が住んでる、いろんな考え方があるから、どこが一番「人の住んでいる土地の最北端」になるかは決められないかもなーと思ったので、あんまり限定せずに「最北端に近いあたり」ということで。

グリーンランドのシオラパルク。

地図で見たらすごく北だし、考えただけでも寒そうだ。

 

今までにもなんどかストリートビューを見に来たことがある。一番紹介するのにふさわしい「こんな感じの場所だよ」ってのは何処かな~と探した結果、ここらへんかなと。

海と山の間のなだらかな場所に家がぽつぽつ建っている。
wikipediaによると、2010年の人口は68人。今はどうだろう。

8月だと、こんなに北の場所でも雪は無くなるんだな。山は高いなあ。
草は生えているけど木はないなあ。
何処へ行っても犬がいるなあ。犬好きにはたまんない感じで犬が飼われているよ。

シオラパルク – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%91%E3%83%AB%E3%82%AF

wikipediaには、在庫の豊富な商店があると書いてあるけどどれだろう。

 

この辺かな。生活雑貨の写真の看板もあるし。(右側)

近くの集落「カーナーク」の気温を見てみると、8月でも平均気温は3.8度、一番寒い2月は-24.6度とのこと。こりゃさむい。


日本だけ見ても、「こんな厳しい気候の所にも、昔ひとが移り住んで生活したんだなあ」と思う場所があるけれど、世界を見るとさらに寒かったり暑かったり乾いていたり湿っていたり、いろんな場所に人間は住んでるんだなあと実感する。

昔世界中に人が住んだときよりも、人間の数は今のほうが圧倒的に多いのに、条件の厳しい場所の村や家はどんどん過疎化している、つまり「もっと住みやすい場所」に集まってるということだよね。

昔は集まれなかったんだろうか。また何かの理由で、集まった場所から分散した人々が、新しい場所を開拓してそこに住むんだろうか。

いまの時代だと、新しい場所・誰もいない場所だからと言って住めるように開発していいってもんでもないし、フロンティアももう活躍できなさそうですね。

「この土地の木を切り開き土地を均し、作物を植えて動物を育てるぞ」

とか言い出しても「そこは保護されています」「勝手にやらないで」って感じだし、実際どんどんやられても困るもんねえ。

だから今まで誰かが村として住んでいた場所に……新しく人が適度に入ってきて、適度に住みやすく改良してって感じが理想だけど、理想・空想過ぎて現実的ではない感じだなあ。


人が住んでいるんだから当たり前だけど、集落にはお墓もありました。
お花でいっぱい埋められたお墓。鮮やかなお花は造花で、寒い土地でも長く鮮やかに飾れるようにそうしてるんだろうなあと思うと、やっぱり人が住んでいるというのはそういうことなのかもなと(勝手にですが)感じました。

【連載】お楽しみは文房具20話更新されました!

連載中のweb漫画「お楽しみは文房具」の最新話が公開されました!

【連載マンガ】お楽しみは文房具 #20「国会図書館で文房具の本を探してみる!」
https://www.buntobi.com/articles/entry/series/manga/009224/

今回は、先日国会図書館へ同人誌を納本しに行った話です。
ここの日記にもその様子を詳細に書いているので、ぜひご覧ください。
漫画のほうでは数コマで終わってる納本が、どのようになされたのかわかりますよ~。

国会図書館に同人誌を納本してきてみた。
https://www.blackstrawberry.net/yoshida/?p=556

合わせて読んでいただくとより楽しめると思います。

今回は、謎の未来人(イメージ)と、私のデスク周りがごちゃごちゃしているのをそのまんま描いてしまったコマが見どころでございます。

ちらかってるぜ。こまごまとな。紙とペンがおおいぞ。あとはおもちゃとか。

パソコンがT字に積み重なってるけど大丈夫だ。たぶん大丈夫だ。

 

【映画の感想】「震える舌」見た

アマゾンプライムビデオの見放題にあったので、以前から気になっていた映画「震える舌」を見ましたよ。

闘病ものということで……
前もって知っていたのは「怖い」「むしろホラーより恐怖」「子役がスゴイ」
ってあたり。

1980年の映画です。

舞台は新興住宅地、巨大団地の一角は埋め立て地で、その原っぱで子どもは自由に虫を追いかけたり泥をこねたりして遊んでいる。
そんなある日、幼い女の子の様子がおかしくなってくる。両親は病院に連れて行くが、医者は「風邪じゃないか」「わがままだから診ない」「心因性のものだ」という判断。ようやくたどり着いた大きめの病院で、老医師がきちんと調べてくれた結果、娘は破傷風菌に感染していた……

という導入でして、そこからはひたすら闘病するわけですが、もう治療が拷問のよう(に見えるけどたぶん必要な処置で……)なので両親はそんな子どもの姿にショックを受けて精神的に参ってしまう。発作を見張る看病で夫も妻もフラフラだし、担当医はまるで悪魔のように冷静に治療をこなしていくし、子どもは泣き叫ぶしで本当に怖い。もし実際に自分の子どもがそんな風になったら同じようにショックを受けそうだ。

でも、ショッキングな描写が核ではなくて、もっと静かなところの心の動きの描写が丁寧で良かった。

母親が細かく発作の様子を記録していくところ、自分も倒れそうなのに子どもと妻を支えようとする父親、父親が破傷風菌に夢の中で語り掛けるシーンも良かった。
「せっかくこの子の中に住めるところを見つけたお前は、この子を殺してしまうのか?お前も消えるんだぞ……」って感じで。
amazonレビューでは「菌に話しかけ始めて父親も精神的にヤバイと感じた」って人もいたけど、私なんかわかるなあそういうの。エボラとかエイズとかインフルとか寄生虫・ガンにも同じことを感じるよ私は。

自分がこの恐ろしい病気に感染したんじゃないか?と両親二人とも疑心暗鬼になって、全員の命をあきらめかけるところもリアルだった。こういう状態だとそうなることもあるだろうな。

両親が極限までの看護疲れと混乱・パニックを経て、ようやく「休もう」と動き始めて、久々に自宅に戻った父親が風呂をためて酒を飲むところは泣けました……


途中で「怖い。つらい。やめよう」と思った人は、せっかくだから最後どうなったかだけ見たらどうでしょう。んで見る気が出たら途中も見ればいいかも。

とにかく破傷風怖い。めったにならない病気、というのはワクチンの予防接種があって、その免疫が切れるころにはもうみんな泥遊びなどしないからというだけなんだよね。気を付けよう。どこにでもある菌だ。災害時や海外活動では感染しやすくなるということで、そういうときは予防接種しなくちゃですね。もうほんと怖い。

amazonレビューにも「私はこの映画を見ていない、見られない。破傷風で亡くなった友人のことを思う」というものがあって、そうだ、そういう病気なんだと再認識させられます。


この映画は1980年公開の映画ということで、私の幼い頃の文化と被ってるわけですね。だからなんだか、ちらちら見える家にあるものとか家具・家電のデザイン、空気感が懐かしい感じだった。

あとドラえもんね。病院のロビーの売店?にあるドラえもんの何かがずっと映り込んでて気になった。
父親が家に帰るシーンでは、レコードプレーヤーの奥に「ぼくドラえもん/ドラえもん音頭」の歌詞カードが開いて飾ってあった。

最後の最後で「ドラえもんの絵本、買ってきてあげるね……」と母親が言うので、
「とうとう言及されたぞ」と思った。

1980年というと、1979年にドラえもんのアニメ(テレビ朝日版)が始まって1年ぐらい。子どもたちに人気が出たのかな。そこの記憶はないのでどういう風に世間が・子どもたちが騒いだのかが実感できないので、ちょっとこういう風にふとしたところで見せられると「おおっ!」と前のめりになってみてしまいます。

そういう風に、作られた時代を感じながら映画を見るのも楽しいです。映画自体は怖かったですが……