2019/8/2 「この世界の片隅に」地上波放映だよ

NHKで。8月3日に放送されるとのこと。

http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/trailer.html?i=19630

私はねえ……もう劇場でも20回以上見ているし、ブルーレイも持ってるしって感じで地上波放送を見なくてもいいんですけど、せっかくだからね。まだ見たことなくて、ちょっと興味あるな~って人にはぜひね。


こういう風に地上波で好きな映画とかがやるってなると、たくさんの人が同時に観て、いろんな感想がぶぁっとでてきちゃうと読んでる方も疲れちゃうので、あんまり積極的に「で!?みんなどうだった!?」みたいなことはしないんですよね。

元気な時に、読みたい感想を読むって感じで良いじゃないですか。

ネットでガンガン自動的に流れてくると疲れちゃう。まさに溺れる感覚に近いというか。こっちは何も言えず、暴れてるのかもわからず流されて、オッオッとか言ってるうちに疲れてコポ……って沈んじゃう感じ……


と、ここまで日記がきのうのうちに書いてあったんですけど、その後何を言って閉めようと思ってたのか思い出せないので、とりあえずここで送信します……

2日はなんかぐったりして眠ってしまったのでした。

2019/8/1

ちょっと更新に間が空いてしまいました。7月末はいろいろやってましたが終わってみると何をやっていたのか??

7月は、とくに目標とかを建てなかったんですよね。だから7月が終わっても振り返って「できた、できなかった」と考えることがあまりできない。記録はつけているからそれを集計すれば何をやってたとかわかりそうですけど……

「できなかった……」と落ち込まずに済むけど「できた!」ってこともないので、なんか空白になりますね目標のない期間というのは。

8月はもうかなり予定を入れてしまって、あっというまに終わってしまいそうですけど、そんな時だからこそ目標とかやりたいことを入れ込んでいろいろ頑張ろうかなと思っております。とりあえずコミケがありますんで……体調整えつつ楽しく夏を過ごそう。水分とかミネラルとか忘れちゃうほうなんで、体を大事にしていこうと思いますよ。

今年はあんまり長い体調不良ってのがないから、このまま一年間をすごしたい!!

2019/7/25 思い込みに気づく

アフリカをはじめ、世界のいろいろのことを最近勉強……というか知りたいなって思っていまして。

その過程で、いろんな思い込みにいま気づいてるわけですよ。

思い込みに気づくってなかなかすごい体験ですよ。なんか癖になるかんじ(?)。

気づいてないから思い込んでるのであって、思い込んでるから疑ってなくて気づかないんですよ。自分としてはいろんなものを「それは、それか?」って疑ったり裏から見たり立場を変えたりっていうことを延々していると思っているわけですけど、まだまだ気づいてなかったことがたくさんあってびっくりすることがある。

「え!これってこうじゃなくてこうなんだ、っていうかいつからこうだと思い込んでいたんだ!?」って。

だいぶそういう経験を重ねてきたことによって、いったん「わたしの思い込みかもしれないぞ」って立ち止まることができるようになった気がして、まだまだ知らないことはいっぱいあるけど考えるきっかけができたかな。

2019/7/22 レジン工作でくらげチャーム作ったよ

キャンドゥでくらげチャームを見つけたので。

これにレジンで何かを固めていこうと思います。

もういろいろあるのでそれらを使います。

ビーズとかシェルフレークとか。

シリコンマットにフレームをのせて、レジンを流し込んでいくのですが……

足の間にもレジンが入っちゃったね。

シリコンマット側から結構流れ出しちゃって。

とりあえず最初の一層はすぐ固めたほうがいいのかも。もたもたしていると流れ出てしまう……

こだわりは消化器官って言うか上の方の赤丸。

また今度挑戦してみます。

2019/7/22 

大きな事件があって、それの報道や世間の反応を見ていると、だれがだれをころしたのか、どんなひとが死んで、その未来はどういったものがあって喪失したものは何なのかを大きく扱って悲しんでいるのだけど、どうもつらく感じてしまう。

死んだ人が生きていたら何をなしたのか、これまで何をしてきた人なのかでいのちの価値がかわるわけではないのに、と考えてしまうから。

このあととくに何をなさない人でも、いままでただ年齢を重ねてきた(ように見える、だれもその人のことを語ってくれない、証拠もない)人でも
無差別に殺されていいわけではない。


私がひねくれているとは思うし、言われていない言葉を勝手に受け取ってつらい気持ちを生み出しているだけだというのもわかるのだけど、言葉は一つの方向性を示したときに、必ず「発しなかった言葉」がその裏側に生まれてきてしまうのも本当のことだと思うのだ。そこに選択があるのだから。

文字を綴って自分の思いを伝えることができる人間としてはいつも、選んだ言葉、選ばなかった言葉、その意味を考えて生きていきたいと思っている。