2019/03/01 ピンとくるはなし、こないはなし

いろんな差別・格差問題などに関心があって、いろいろ調べてるのではありますが。

「そうだな~」って実感できる話と、「そうなのかな?」っていまいちわからない話とあるわけですよ。

まだまだ勉強中で、なんだかイマイチぴんと来ていない話のひとつが、「文化の盗用」の話です。知識としてはいろいろ調べて「そういう感じか」と納得して、特に黒人差別まわりの文化の盗用については「歴史的な経緯もあるんだな」と知りました。

女性差別でも、人種差別でもそうなのですが、「これは差別です」という話題に
「そんなに細かく・うるさく言われちゃあ、いろいろやりにくいよ。萎縮しちゃうんじゃないか?差別されてると言われてる側は本当にそれを気にしているのか?当事者の中でも『気にしない』という人が多いみたいだけど?」と言う人は多いし、身の回りにもいます。

私は個人的には、一度起こってしまった差別を無くすためには、「やりすぎじゃないか」というほど敏感になって、検証して変化させていくしかないと思っています。「これでは平等ではなく、被差別側が有利で利益がありすぎる」って、差別対象になってない人から見れば思うのかもしれないけど、結局それぐらい気を使って考えていかないと差別が無くならないんだろうなって。

やりすぎとか規制の反動で、別の弊害が出ることもあるみたいだけど、なんかそういうもんなんだと思うのです……すごーく硬く凹んじゃったものを、ぐいぐいしたから押して周りと同じ高さにしようって力入れたらでっぱりすぎちゃったり、また周りを盛ったり整地したりいろいろでしょう。

何もかも取っ払って、更地にしてからならうまくいくかもしれないけど、そうも行かず。


で、最初に戻って、「文化の盗用」です。

人種差別的には多くの日本人も白人から差別される対象に含まれるかもしれませんが、あんまり実感が無いんですよね、島国のせいもあるかも。日本にいる分には、多数でおしてるというか、わざわざ日本にやって来る人は差別しにやって来るわけでもないというのがあるかも。

実際、海外旅行したりすると、他の国で「アジア人だろ」っていう理由だけで扱いが違ったりして、実感するという話も聞きます。

日本人が知らないアリアナ・グランデ「文化の盗用」批判の背景とは | 文春オンライン
http://bunshun.jp/articles/-/10843

こういう感じでですね、日本の文化・民族的な何かをなんやかやすると、文化を盗もうとしていると批判されると。着物を着るとか、そういうのも含むみたい。

とくに上のリンクの案件なんか、日本の文字(というか漢字だから日本のってわけでもないか)をタトゥーにするなんて、特に盗まれたという感じが無いわけですよ。

むしろ、昔から「海外で見つけた日本語!」とか、「着物を着てくれた海外の人!日本が好きなんだって!」みたいなのはうれしく思うところがないですか。

私などは、「日本が好きです、いいところだよね」みたいに海外の人が褒めてくれてるのを見ると、「ウオー!日本を知ってるの!?ありがとう!!!」みたいになって、その人のことが急に好きになっちゃうところがありますよ。

クイーンが親日。とかさ。そんなの聞いたら「うれしいな~」って、私は日本人代表でもなければ、私が好きだって言われたわけでもないのになんかうれしいじゃないですか。

だからどうも、文化の盗用の話題になって、日本が関係してるとよくわからない。

私たちは洋服を着て、英語を勉強して、他国語が書いてあるシャツを着たりして、いろんな文化を取り入れてきたじゃない。でも、それはアジアが弱い立場だから許されてきたってことなのかな?「弱い立場であるアジアの真似を、強い立場の欧米がするなよ。かれらの持ち物を奪うなんてひどい」ってことなんだろうか。
むしろそっちの方が「エエエ!差別的!」って感じもしちゃうけど。

うう~むまだまだ勉強というか事例のチェックが必要である。

 

2019/02/25 知識とか

昨日の国会図書館へ納本しに行った記事はお褒め頂いたりして大変うれしいです。ぜひ読んでみてください。


ところで、最近立て続けに

「○○って最近見ないね」とか「○○って聞いたことない(からマイナーなんだろう)」というコメントを見かけて、でも私にとってはどれも「そんなことないよ」って思うものだったので「やっぱり認知していない物事へは正しい評価ができなくなるな」という感想を持ちました。

私もですね、ぶっちゃけ「……私が知らないだけで世間では人気がある・有名・常識だって? ははは、本当にそうなら私の耳にも入って来るだろう。そうじゃないのだから実力がたりていないのだよ、本物は知ろうと思わなくても知ってしまうものさ」と思ったりすることもあるんですよ。

でもまあ……きっと大体の場合が強がりなんだろうなあと。

逆の立場で「オオイそれは大人気で今も君が知らないだけでファンがいっぱいいるよ!」とか「普通に生きてたら知ってるだろ!!」と思ってしまうあれやこれやのことを思うと、そういう風に「知らないこと」が私にもたくさんあるだろうと想像できるわけで……

100%の知名度のものは無いし……

ない……ないよね……なんかある?

にんじんとかですら「へえ~これニンジンっていうんだ、名前は聞いたことあるけどこれがそうだって知ったのは今日が初めてだ」って人もいると思うんですよ。いやホント。


だから、できればねえ、

「これを知らないなんて知識がなさすぎる。アンテナが低いどころの話じゃない!」

って怒ったり、

「聞いたことないからマイナーで不人気なんでしょ」

ってバカにしたり、

両方無ければいいのになって。

出来るだけ気を付けていこう……言いたくなる時あるけど……

国会図書館の食堂でごはんたべてきた

前回の日記のあとのはなしです。

国会図書館に同人誌を納本してきてみた。 – 藤村阿智の日記 ひぐらし BlackStrawberry_net
https://www.blackstrawberry.net/yoshida/?p=556

せっかく国会図書館に初めてきたので、利用者登録カードを作ろう!と思ったわけです。でも、あんまり下調べしていなくて、読んでみたい本とか思いついてなかったわけですよ。いくらかデータベースを検索したりして、「こんな本あるんだ~」とは思ったんだけど、まだ全然しっかり見られていないので、次にお預けかなと。

でもこのあと予定もないし、利用者登録カードを作っておくのはいいだろう。と思って、作ってみました。

国会図書館はいいですね、よくわかんない状態で行ってもたぶん大丈夫だと思います。案内が丁寧なので指示通りに動けばよいのです。利用者カードの新規登録申請の紙を受け取って、記入して、身分証明書を添えて提出するだけでできちゃいます。少しだけ待ちます。10分ぐらいってことだけど、私の時はそんなに待たなかったかな。


カードを作ったので、読みたい本は思いついてないけど、売店と食堂へ行こう。と思い立つわたし。売店がとにかく好きです。あとおなかがすいていた。食堂があることは知っていたのですよ。ただ、入り方に不安があった。「どこにも書いてないけど、たぶん利用者カードが無いと入れないんじゃ……」

ざっとしらべた限りでは誰も言及してなかったので、ここに記します。

食堂・売店を利用したいだけでも、カードで入場した先にあるのでカードが必要である

新規登録は新館の方で受け付けてくださるのですが、食堂は本館です。そこまでは調べてあったので、新館の方のロッカーに荷物を預けるように案内いただいた時に

「本館の方に行きたいので、本館のロッカーに預けることも可能ですか?」

と聞いたところ、「もちろんです!ロッカーは複数ありますので、どちらに預けてくださっても構いません!」と優しい笑顔でご案内いただいたのですが、

あとで気づいたのですが……新館と本館つながってた……新館で預けても全然問題なかった、っていうかそっちの方が移動距離的には少なく済んだ。まあ本館の入り口から入るという経験もできたからいいってことにしよう。しかしはずかしい。本館原理主義だと思われたかもしれない。


国会図書館の中なので、カバンは持ち込めないです。でも売店や食堂行く人は財布を忘れずに、っていうかまあ貴重品だから手荷物として持ち込むか。透明ビニールが用意されているので、それに財布と電話ぐらいは一応入れて持ち込む感じですかね。カメラは持ち込めないので預けておいちゃった方がいいですね。

建物内は寒くないので、上着もロッカーに入れば入れてもいいかも。私はマフラーだけ邪魔なので預けましたが、上着も預ければよかったかもな。

で、エレベーターで6Fへ。売店と食堂があります。食堂は誰でも入れるけどほんとにスタッフ向けというか、職員用の食堂~!って感じでした。
食券を購入して、カウンターでわたして、出てきたら受け取って好きな席へ。最初にお盆を持っておいた方がいいです、私ひとり持つのを忘れて慌てて取りに行ってるすきに注文した料理が出てくるという、なんとも間の悪い感じになってしまった。

ラーメンを食べたのですが、残った汁は給湯室で捨ててくださいって書いてあって、給湯室がわかんなくて焦った。食堂を出て、売店も超えるぐらいまで食堂から離れたところにある小さな部屋の中にあるのです。

「給湯室……どこだ~」ときょろきょろしてたら、すれ違った人に「下膳棚は食堂の中にありましたよ!」と教えていただいたり(笑)
「いや、汁は給湯室で捨ててくださいって書いてあって……給湯室何処かな~と思いまして」
「そうなの?そりゃしらないや~」
というちょっと恥ずかしいやり取りを(笑)

(あとで得た情報によると、給湯室で捨てるのは売店で購入したカップ麺などの汁を捨てるときの話のようで、食堂のラーメンとかはそのまま下膳棚に下げても大丈夫なようです……)

ご飯食べた後は、一応ぐるっと1F(2Fだっけ?)の回廊をひとまわりして、雰囲気を堪能してから外に出ました。次はなにか資料を見てみたいと思います。

館内の写真撮影ができないため、文字だけの記事になりました!

 

国会図書館に同人誌を納本してきてみた。

国会図書館と言えば、日本の出版物がいっぱい保管されているところ。しかもずっと保管される。読みたい人は読むこともできる。

出版物と言っても、すごく売れた本や雑誌だけでなく、同人誌も保管してくれるんですって。というか、不特定多数に頒布されたような出版物は納本する義務があると。同人誌も、そんなに部数が多くないとはいえ、不特定多数に頒布してるわけですよ。とくに私の本は同好の士に向けた内輪向けの冊子ではなく、多くの人が読んでくれたらいいな~と思って作成していますからね。条件には合っていますよね。

うちの同人誌一覧です。
https://www.blackstrawberry.net/book/index.html

もう在庫がないものや、そもそもコピー本だったりするものについては持っていきませんでした。在庫があるものを過去の分まで。なんだかんだで33冊も持ち込んでしまいました……1種2冊持っていくと関西にも置いてくれるそうで、せっかくなので2冊ずつ。1種はもう在庫が1冊だったのでそれだけを。17種類ということでしょうか。


これらを持っていくぞ~。近刊だけにするかもしれないと思って、写真のものはとりあえず2018年に発行したもの……

国会議事堂前駅で降りて、国会図書館へ向かう。

この辺わりと空が広いんですよね。国会と、その関連施設が集まってるということですっきりしているし。あと警察の人が要所要所に立っている。

納本制度|国立国会図書館―National Diet Library
http://www.ndl.go.jp/jp/collect/deposit/deposit.html

納本に当たってちゃんと下調べをしました。恥ずかしい思いをしたくない。同人誌を納本したお仲間もたくさんいらっしゃるようで、それらの記事もありがたく読みました。なので私も記します、「納本は利用者入り口ではなく、西口から入る」ということを。

で、皆さん「納本に来ました~」と、上記の西口の写真をUPされているのですが、私はこの写真で勘違いをしていまして。
「いくら通用口だからって、こんな小さな、茶室に入る感じのせまい入り口にしなくても……」と……
「洞窟みたいな入り口だ。わくわくするな。」って、思うじゃないですか……あの、写真に写ってる小さい穴みたいなのは、入り口じゃなくて門をしまっておくための穴?なんですよ!(こんな思い込みは私だけだろうか)この穴には入らず、その石垣に沿って奥へ入ってください! そして建物に入るのです!

入ると警備員の方が阿吽の像のように立っていらっしゃって、たぶん目が合うので

「納本に来ました」と言えば、受付するように促してくれるでしょう。
受付の方には「入口はこっちじゃないんですよ」と言われましたが、その時も警備員の方が「納本の方です!」と助け船を出してくれたので、安心できました。もしひとりだったら「え、えと……あの、、わかりました、、」って外にでて「わーん、納本チャレンジ失敗だよ~」と泣いて帰るところです……。

受け付けでは指示通りに台帳へ記入し、教えて貰ったルートで納本カウンターへ向かいます。

納本カウンターではベルを鳴らせばすっと係の方が出てきてくださいます。

「のうほんに来ました!」と告げて、本をだして、見てもらって、受領書に必要事項を書きこんで提出すれば終了です。

希望すれば納本時に「代償金」というお金が、冊子代金の半額支払われるそうなのですが、私も近年のものだけでもやってみようかなと思いましたが、ちょうどお昼時だったこともあり、その担当の方がお昼休みだと言われてしまって。お昼休みあけまで待つ!!!とも思ったけど、一応費用も税金から出てるわけだしなあ~と思いなおして全部寄贈することに。とりあえず国会図書館で永く保管してもらうというのが今回の目的でありますからね。

受け取っていただいたので、このあと何にも問題が無ければデータベースでも検索できるようになると思います。

一応納本の義務があるとはいえ、万人にやった方がいいと言えるかと言えば、そうでもないというか、作ってる本によってはそんなに長く残っても困るって場合もあるでしょう。だからまあやりたい人がやればいい(同人誌については)と思うのですが、私はちょっと「これは意識が変わるなあ」と思いました。

国会図書館がどれだけこのあとも続いていくのか、日本はどれぐらい続いていくのかわからないですが、とりあえず日本が終わったり、国会図書館をやめたりしない限りは私の書いた本が残るわけです。漫画とかもこれで残ります。私は出版社から本を出していないから、今までほとんど残るあてもなかったのだけど(一部出版社の発行物に記事を書いているので、これまででもゼロではなかった。でも自分で納本しようと思うまではそのことに思い至らなかった)。

文房具の同人誌なんかは、もしかしたら私しか記録していない文房具や、文房具を使った感想もあるかもしれない。そしたら、将来・ずっと未来の人が、〇年前の文房具ってやつを使ってた人の感想はどうだったのかな」って思った時、国会図書館で「おっ文房具の本があるぞ。こういうこまごました分類があって、ニッチな商品までいろいろあったんだな」って思うかもしれないじゃないですか。

私自身も、いまから300年前の道具とか、もっと昔の道具とか、どういう気持ちで使ってたか知りたいって思うことありますし。いまは当たり前のものが出てきたときの人々の反応とか、もうなくなってしまったものを使っていた人の話とか。

漫画ももしかしたら読まれるかもしれないし。誰も興味を持たなかったら、ずっとずっと眠るのかもしれない。それはそれでいいかな。

とにかく、今後なにか同人誌を作るときは、「これを国会図書館に納本して、ずっと残すんだ」と思ったら、描く内容も変わっていきそう。私と一緒に眠る、私の言葉や、愛した道具たち、物語。なんかワクワクします。

いつも読んでくださる読者さんのことを考えて書いていたけど、加えて未来に読むかもしれない誰かのことも考えてみたいと思います。


【関連記事】

国会図書館の食堂でごはんたべてきた – 藤村阿智の日記 ひぐらし BlackStrawberry_net
https://www.blackstrawberry.net/yoshida/?p=562


【参考にしたサイト】

納本制度|国立国会図書館―National Diet Library
http://www.ndl.go.jp/jp/collect/deposit/deposit.html

国立国会図書館に同人誌を納めに行ったよ。 | 夕立ノート
https://mofday.info/national-diet-library-doujinshi/

国会図書館に、プリキュア同人誌を納本しました。 – プリキュアの数字ブログ
http://prehyou2015.hatenablog.com/entry/kokkaitoshokan

技術同人誌を国立国会図書館に納本しました at www.morihi-soc.net
https://www.morihi-soc.net/?p=1135

 

2019/02/13 不寛容な正義の人

昨日の日記はタイトルに書いたような人がさらに他罰的になって、
「あいつは懲らしめられても仕方のない、懲らしめられる理由がある人間だ」
と思いすぎちゃうのは良くないという話だったんだけど、

藤子・F・不二雄先生の「ウルトラ・スーパー・デラックスマン」という短編はそういう人が主人公なんですよね。

 

こういう極端な人や状況が日常に入り込むとどうズレるかっていうお話が本当にすごいんだよなあ。まあ、つまりギャグだってことですよ。周りとズレている。やりすぎる。ということははたから見ると滑稽なわけです。

ウルトラ・スーパー・デラックスマンは、平凡なサラリーマンだけどまじめな性格で、世の中の悪を正したいと考えている 男が、ある日大きな力を手に入れて、その力を世のためひとのために使い、世界を良くしようとするお話なんですけどね。

なにかの理由で行動を正当化できる人は、悪さを正当化する力も持っているのだなあと。自分が手を汚してしまうのは、あいつがそうせざるを得ない悪だったから。

自分がいい思いをできるのは、悪を倒すのと引き換えの報酬だから。

些細なことだったら普段から私たちがやっていることなんだなあと思う。力がひとに影響を及ぼさない程度だったらいいんだけど、誰かに影響するほどの力があるひとが他罰的になるとおかしなことになってしまう。


短編なのでさくっと読めてしまうから、オチのネタバレも何もないけど、最後のシーンで「バチが当たったんだな」と思っちゃった場合は読者自身もギャグになってしまう……スカッとするのか? モヤっとするのか? ひとだけでなく、読むタイミングによっても変わりそう。


力をもった正義の人の極端な世直しと言えばデスノートとかもそうだよね。

自分が正しいと思ってる人にちからが渡った場合はそういうことになる。歴史の中でもそうなのかも。みんなわりと、「これは正しいことであり、多くの人のためになる」と考えているから極端な行動をとれるわけですよ。

いちいち「これはただしいのか?他方から見れば悪そのものではないか?少数を切り捨てるのか?犠牲を出すのか?」などと考えていたら何も物事は進まないのかもね。

まあ私は自分の人生ぐらいは、なにも物事が進まなくても犠牲や切り捨てを最小限にしていけたらな……と思ってますよ……そうはいってもいろんなものを下敷きにしなけりゃ立っていられないんだということも自覚しなくちゃね……あんまり考えすぎると病みそう、究極に、正義は「全員がしぬとやくそくして自分もしぬ」ことでしかかなえられないのかもな???