2020/08/18 「タッチ」(あだち充)全巻ぶんよんだ

あだち充先生の「タッチ」を全巻読み返しました……

サンデーうぇぶり というアプリ(前にインストールしてあった)で期間限定無料で読めたのですが、気づいたのが遅かったのもあって、ほぼ2日で26巻全巻を。

(↑これはamazonへリンクを貼っています。表紙を載せたくて……)

以下、ネタバレあるのでまだ読んだことが無くて楽しみにしてる人は読まないでおいてください。大体知ってるとか、もう読んだよという方はぜひどうぞ。思いついたことをちょこちょこ書いていきます。


全巻読んだはずだが

全巻読んだはず、だってうちには全巻あったんだもん……愛蔵版の方だったと思うけど……

なので大筋は覚えているし、ほぼ最初から最後まで出てるようなキャラと新田くんの妹ちゃんについては覚えているんだけど、途中から出てくるキャラで重要な人のことがすっぽ抜けている。

ふしぎなのは、そんなに忘れてたら新鮮だったのかというと、「初めて出会った気はしない」んですよね。「おお、そう……だった……か?こんな人がいた……かな?でも知らないとかびっくりとかではないな??」と不思議な感覚になりながら読みました。


すげーなっておもったところ

やっぱりカッちゃんがいなくなってしまうところ。

残念なことに、あまりに有名な作品だし、繰り返し読んだり見聞きしたりしたので初めての衝撃とか言うのがよくわからなくなっている。リアルタイムでこれを読んだ人はびっくりしただろうなあ。
いまから「タッチ」を読むということは、「100日後に死ぬワニ」を読んでた時のような奇妙さがある。(※記事の最後にちょっと追記書く)

でも、タイトルからも読み取れるとおり、その事件が無ければ走りださないストーリーなわけですよ。それまでも、カッちゃんとどういう関係だったか、そのあとも、カッちゃんへの気持ちとどう付き合っていくか、そういう話なんだなあと。

改めて読んだら、カッちゃんが事故にあうまでの描写がすごく丁寧で、タッちゃんと南の二人がカッちゃんの死にとらわれないように描かれていることに気づきました。何よりも一番は、「周りの親しい人たちは南ちゃんがカッちゃんじゃなくてタッちゃんのことが好きなんだなというのを知っている・気づいている」ということ。カッちゃんの親友、孝太郎も知ってるんだよね。もちろん達也本人も元々伝えられている。和也もずっと、知っている。

だから、三人のことをよく知らない人はいろいろ言うかもしれないけど、大事な人たちは「和也がしんだから達也にのりかえた」とは思わないし、「達也が和也から奪った」とも思わないわけですよ。これは読者にとって安心感があると思う。

そういう風に、読者も周りもそのことをわかっているけど、どこか「和也をないがしろにしちゃうんじゃないか」と考えてしまう二人。

でもいいよなあ、タッチの登場人物たちは誤解もするけど、ちゃんと話し合ってすれちがいをすぐに解決していくところがいいと思う。


読んでいると、タッちゃんは素直じゃないし言葉を尽くさないから誤解されることも多いんだけど、でもちゃんと読者にはタッちゃんのいいところが見えていて、読みながら「あ~タッちゃんの魅力にみんな気づいて!」と思ってしまうし、だからこそいちいちカッちゃんと比べられて評価を落とされるタッちゃんを応援してしまうし、タッちゃんの本当のいいところを知ってるキャラ(南ちゃん、カッちゃん、原田、孝太郎、ご両親、南ちゃんのパパ、チームメイトたち……)のことを好きになっちゃうし、表面だけ見て誤解してる人たちにムッとしてしまう。


びっくりしたのは吉田くんだよね。出てきたときは「あ、そういえばこんな人いたなあ」って思ったのに、だんだん「こんなだったっけ?」となり、「何だこいつ?」となり、途中でいきなり退場してズコーッ!!となり、

また出てきたときはびっくりしましたね……

コテンパンに打ちのめされてましたけど……彼にもなんかいいことがあればいいですね……


新田くんも完全なライバルにはならなかったね。いやまあライバルなんだけど、達也のことを「和也が乗り移るだろう存在」だと思ってるし、達也も「和也として叩きのめしたい相手(なのかも)」として長く思われてたわけだしね。達也にとって越えるべきはいつまでも自分の中の和也ただ一人であって……

でも新田くんのパーフェクトさは、やっぱり「南の恋人にふさわしいか」という視点だと常に劣等感のあった達也にはまぶしく感じてるよね。お金も持ってそうだし。バイクも乗れるし。


ということで

なんか書き散らかしてしまってまとまらない。

しかし、長くはあったけど、エピソードのひとつひとつが説得力があり納得感もあり、自然に誘導される先が爽快な感じで読んでて「さすがだな……」と言った感想です。

最初の方で言ったように「周りのみんなは南の気持ちに昔から気づいていたから、南とタッちゃんの関係を見守ってくれている」のですが、最後の方でちゃんと露悪的な意見がぶつけられるわけですよね。単に「スペア」なんじゃないかと。もちろん南ちゃんは怒るし、読者も怒るけど、「やっぱりそう思われちゃうんだ」って言う「やっぱり」もあったと思うんですよ……周りがすべて察してくれる善意ばかりではないと。最後の方でそういう、タッちゃんと南のもろい部分や弱い部分がさらけ出されて、「それでも」って顔を上げた先にお互いがいて、一緒に未来を見るんです……達也が「和也とおれとどっちが好き?」って絶対聞いちゃいけないような質問をしてしまったり(これは孝太郎に投げかけたけど、きっと達也はすべての愛する人に問うたんだと思う)。もちろん自問でもあっただろう。越えなくてはならない達也の心の迷いと本質だけど、自分では答えを出せない。孝太郎以外の誰に聞くこともできないし、孝太郎は精一杯の「問うたことへの怒りと許し」を達也に伝えることができる唯一の存在だったと思うよ……


たぶん最初に読んだときには気づかなかったようなストーリー運びの機微を確認しながら読めたと思う。よかったよかった。

 


【追記】

「100日後に死ぬワニ」はTwitterで連載中にちょこちょこ追っていたけど、読みながら「ワニが本当にしんでしまうとしたら、この日のこのやり取りのことを思い出したときにこのキャラはツライ気持ちだろうな」とちょくちょく思っていた気がするけど、「タッチ」はカッちゃんがしんでしまうとわかっていても、「ああこんな風にしたことを後でこの人は後悔するだろう」という描写はほとんどなかったと思うんですよね。突然ではあったけど、「なんであの時あんなひどいことしたんだろう」などの後悔はのこらない。そりゃ「あれは正解だったのかな……」って思い返すことはいくつもあるだろうけど、みんな誠実だったから、カッちゃんの事故に事故以外の理由が生まれてこないようになってると思うんですよ……

へんな風に盛り上げようとしたら、「南ちゃんが気持ちにこたえなかったからもしかして和也は……」とかそういう風ににおわせることもできるわけじゃないですか。でも読者から見てもそれはないですよ、和也はそんなキャラじゃないんですよ。 と思える丁寧な描写と内容だったなあとしみじみ思いました。

【漫画の感想】リウーを待ちながら 全3巻(朱戸アオ)

先日読んだばかりですが、「リウーを待ちながら」の紹介を。

ネタバレというほどでもないけど内容に触れるので、まったく知りたくない方はこの先読まないでね。というかネタバレ感想読みたくない人は作品名でググって出てきたブログなど読まずに即行で買いなさい。

全三巻だから全部一気に読むのがいいと思います。

“【漫画の感想】リウーを待ちながら 全3巻(朱戸アオ)” の続きを読む

【本の感想】漫画版 ハーモニー全四巻(原作・伊藤計劃、漫画・三巷文)

「<harmony/>ハーモニー」漫画版ようやく全巻読みました。

以下ネタバレというかちょこちょこ内容にも触れるので、まだ読んでなくてまっさらな状態で読みたいし楽しみだよ~読むよ~という人は私の感想は漫画or原作読後にチェックしてね。

表紙もいいよなあ。

原作の表紙がこれだから(白地に乗せるとわかりにくいけど)

—-ここから

—-ここまで

こういう白い表紙なんですよ。最初からなにか書いてあったらそれはそれでうけいれたかもしれないけど、この白い表紙で、最後まで物語を読んだら「この白い表紙しかありえないと言えるな!!」って言う納得感があるわけです。(ちなみに初出の単行本版はイラストとデザインで、それはそれでよいと思います。ただ私としては「この白い表紙いいなあ」と思っています)

なので、漫画版の白地にキャラクターだけの表紙はすごくいいと思う。絵が魅力的だからこれだけでもとてもいいし。

漫画版最高だったね

最高だったと思う。

キャラクターは映画版のキャラデザと合わせてあって、絵柄も似ていると思う。でも映画版でもやもやした「原作の魅力……映画で見えてこない」って感じ、それが漫画版ではしっかり魅力的になっていたと思う。

映画版ハーモニーも、伊藤計劃原作の映画化3作の中では一番すきである。でもその一番すきなハーモニーが、映画全体の中で好きかと言われると正直全然上位に入らなそうだなって思う。

映画で見てて改めて感じたのは、伊藤計劃の長編小説って舞台があっちこちに飛ぶのね。世界中駆け回るの、主人公が。虐殺器官もそうだし、ハーモニーもそう。原作小説を読んでないんだけど(円城塔さんの作品だと思っているので)屍者の帝国も映画で見る限りそんな感じだった。で、映画の2時間ぐらいだと、目まぐるしくなっちゃうというか。いどうしていどうしていどうして!って感じでお話が語られるので、今どこにいるのか、舞台を感じるのに時間がかかっていると見ている人が置いて行かれてしまう。気がしている。

だから、あの時間ではちょっと無理かなと。ただしアニメで1クールやったらもっさりしてしまいそう。あまり展開がない回とか出てきそう。1冊の小説の中での構成を、単純に分割すると毎回盛り上がったり引きがあったりするわけじゃなくなって、楽しめる感じにならないだろう。


漫画はその点、読者のペースでじっくり読めるし、単行本だと特にまとめて読むから山場がなかなか無くて会話劇でもそんなに気にならない。

絵がある割にはお話は分かりにくかったかな~と思う。でも原作にかなり沿ってたと思うのでしょうがないかなあ。
絵柄はハードボイルドでかっこいいと思う。トァンちゃんもミァハも現実離れした美しさと冷たさ、そうあの二人似てるんだよね。そこは作中でも、ミァハを失ったトァンちゃんがまるでミァハをよみがえらせたように、ミァハだったらこうする……を基本に行動しているからだと読み取れたはず。

特に四巻のラストシーンではまったくもって、二人は同一のものから分かれたような描かれ方だったなあと。あと絵がきれいで、風景もきれいで、からっぽでなーんもなくてよかったなあ。原作ファンが「ああ~そうだそうなんだね……」と思えるような……この場合の原作ファンというのは私のことですが、そういう気持ちになりました。


ただ、読み終わってラストのラストの所を読んで、この物語がつづられている形式の大前提を思い出したら、

「これは映像化・可視化するのは野暮ってもんなんじゃないか?」と思ってしまった。だってこれを語っている人も、受け取る人も、このような絵や状況は感……


以上です。