自分もいい年になってきて、
「おなじ大人」の中にも幅が出てきてしまった。だいぶ年下の人も同じように社会人だったりすると、ギャップが出てくることもある。育った時代が違うんだから見えているものが違うだろう。
ほんの数歳の違いでも、子どものころの話になるとギャップは増えてくる。立場や能力があまりに違いすぎるからだ。
小学生の時に見たオリンピックは、お兄さん・お姉さんの活躍の場で、自分も目指せる何かかもしれない。
高校生で見るオリンピックは、同世代の、自分とは違う目標を持って同じ年月を過ごした人がいることを知るかもしれない。
大人になってから見るオリンピックは、年下の、もう自分とは全く違う世界にいるすごい人の話に見えるかもしれない。
でも、どうも普段私やその他いいおとなのみんなは、たまに自分とギャップがあることを忘れて年下のことを気にしてしまうことがある。
自分と違うことをやっているような、頑張りが足りないように見えたり、しんどそうに見えたり、楽しそうだったりくだらないものを大事にしたり、そんな風に違って見えてなにか言いたくなる時がある。
「私の若いころは……」(そしてそれはつい最近に思えていて、世界は同じものだと思ってしまっている。まあつながっているのは本当だ。)
私は「なんか違うな、今の若い人って。私がそのくらいの年のころって……」とか考えだしたとき、口に出す前にいったん考えてみることにした。
それは何年前だ?そして私がその若者の年で、同じ年数さかのぼった時どういう世の中だったのか?
子育ての方法が違う。と思った時など、例えば50代の人が30代の子育てが自分のときと違うと思ったら、自分が30代で子育てしてるときに20年前の子育てを持ち出されたら
「だいぶ時代が違うな」
って思わない?
結構いい感じに「自分が何を言おうとしているか」客観的に考えられる方法だと思う。
何度かやってると、うかつに「私の時はこんな風で、それは良いものですからあなたもやりなさい」とか言えなくなるのです。