ネットで有名な方が殺人の被害にあってしまい、
「ネットは怖い」という話に持っていく人も多くいる。
一部の冷静な人、とくに亡くなった方のことを以前から知っていた人などは、リスクはありつつもネットが悪いんじゃないし、もちろん亡くなった方が悪かったせいで殺されたのではないと言っている。
まあ、誰かが犯罪の被害者になると、被害者になってない人々は必ず
「何かそこに理由があったのではないか」
「殺されていない私と違ったから殺されたんじゃないか」
と理由を探してしまう。
前から何度かここ(旧日記ページ)でも書いたけど、もしも被害者になんの非もなくて、理不尽に突然被害にあったのだとしたら、自分も例外ではないということになり、それが怖くて「私とあの人は違う」理由を探してしまうのだろう、と思っている。「○○だったから殺された=それをしなければ、それをしていない私は大丈夫」と安心したくなるのだろう。
ネットで恨まれるようなことをした、ネットで有名人だった、ネットで本名や活動名を明かして「リアル」に出てきた、というのはころされる理由にならない。
会社の社長だって、どの会社にいてどういう名前でどういう顔で、というのを公表しながら仕事をしているだろう。小さめの会社だったら社長に会うのだって容易だし、もし恨みを持ったり、なにか有名人を傷つけようと思ったらできてしまう。でも社長が顔を出さない・名前を出さない・会社の所在地を公表しないってのは無理な話。個人商店でも、いつもその人がそこにいるというのは危ないこともあるかもしれない。でも所在を明かしたり、人前に出たりすることが「危機管理のないこと」だとは思えない。
つまり、ネットだからどうだとかじゃなくて、リスクは変わらないよと言う話です。
もちろんリスクを減らすのはいいと思うけど。行動する本人が考える事であって、「ネットは危ないからやめろ、ネットの顔のままリアルに出てくるな」というのは飛躍しすぎだと思うのです。