2018/8/29 矛盾と言うかどっちもあってどっちも、どっちも

とくに「選択すること」に関わってくるのかもしれない。いやそうでもないのかもしれない。

いくら考えても、簡単に考えたって2つの意見が脳内で出て、議論してみるけど平行線で、交わることはなく、それぞれにどっちかないしどっちでもないんだから、と思うと結論「考えてもムダ」にはなるんだけど、本当にそうなのかは考えてみなければわからない上に「本当にそうなのか」がわかるわけでもない。という無限ループにはまり込んでしまう。

いまそんなようなことをぐるぐる考えている。

私の中に二人出てきて、

・私はそうじゃない。

・でもそうじゃないかと突っ込まれる。

・結果的にそうだけど、そうじゃないことも認めている。

・認めていたって結局そうなんだから、そうじゃないものを否定しているのだろう。

・いやそうじゃないのもそうだと……(以下ぐるぐる)

そんな感じ?


わかりにくいので具体的な例を出す。これについて考えているわけじゃないけど同じループになりそうだから。

・好きな人ってのは結局顔じゃないよ。

・でもあなたは美しい人のことを好きで、一緒にいるじゃないか。

・美しかったからではないよ。

・じゃあ最初から美しくない顔だったらどうだったか。

・最後は結局顔だけじゃなかったんだよ

・美しい人を選んでそばに置いてるんだから顔もやはり重要じゃないか。

・いや、(以下ぐるぐる)


なにか選択して所持しているもののことや、すでに置かれた立場があって物事を語るとき、本来なら大きく一般的な話として語りたいことも、

「あなたはそういう意見を言うが、あなたの持っている/選んだそれはなんだ」

と個人の話に持っていくとややこしくなるし、しかし完全に切り離せるものでもないということ。

持ってない/選んでない人しか語れないのもおかしいと思うんだけど、思考した時にツッコミ担当のわたしが「お前がそれ言う? 恵まれてるじゃん」みたいに抑えつけてきて、なかなか考えがまとまらないのである。