2020/06/22 「100%」は幻想だけど憧れている

最近立て続けにいろんなものを見て、同じような結論というか現象だなあって思うことが重なってるので「また、これか」という気持ちになっています。

 

考えを固められなくて、でもそれが自分には受け入れられないというか悟りを開けないままになっていて、どうにも苦しい。しっくりくる考え方を出来るようになったらもう一段階自分がいいものになりそうなのになあと考えている。

しかし年々教えを乞うのが下手になっていて、大体「教えられる」とイラっとしてしまう。また教えてこようとする人たちは私のその「知りたいこと」をまったく把握していないのだ!!何を知りたいのかも理解しないうちに「こうじゃない?」と教えてこられるのはイライラしてしまう。そして「そうじゃないんです」とか「それはわかってますが却下です」みたいなことを言うと大体「おまえは学ぶ気もないな」みたいな話に……なるじゃないですか……なんでそんなことを言われなくちゃいけないんだ……でもこれは何の記憶なんだろう、人がそうされてるところを見たのか、私がどこかでそういうことを感じた体験なのか。


「100%」は幻想だとわかっているけど

悩みというかずっと考えていることは、「好きなものと嫌いなものが混ざりあっててひとつになっている」ということ。もっというと「人間」の話なんです。

私は基本的に、嫌いな部分があるとザクっと「嫌いだな」と切り捨ててしまうタイプで、ちょっと好きな部分や長所があったとしてもすべてひっくるめて嫌いになってしまうことが多くて、子どもの頃はそれがよりひどかったです。大人になってちょっと丸くなってきて、「人の評価よりは自分の評価を信じたいな」という気持ちになってきました。高校生ぐらいの頃は、私が好きな人とかでも誰かに「えーあの人すきじゃな~い」って言われたら、「えっ! 嫌われる人だったんだ、ショック~。人に嫌われてる人好きになれないな~。嫌いになったわ~……」みたいに思ってたんですよ。もちろん自分のこともそんなに好きになれなかった。悪い点が多いし、はずかしい人間だと思ってたから。

でもなあ、いま周りにいて好きなひとや友達だなって思ってる人、欠点……と言える部分もなくはないけど、全然致命的じゃなくて、それもふくめていいじゃ~んおもしろいし~! 愛嬌愛嬌! OKだよ! わたしなんかもこういうところあってさ~ダメなんだけどまあ許してほしい! みたいになってきたわけですよ。

つまり「いいひとだな~」って人は、「いい人」であって、嫌いな部分がなかった。ほかの人には嫌われているらしいよっていう情報があっても、「うーん私はその部分も悪いと思わないし、誤解してるだけだな、どっちも嫌いじゃないよ」って思える人ばかりになっている。

100%誰からも好かれて、欠点がなく、いいところばっかりだということは「無い」とわかっているつもりでいたのですよ。


ちょっと戸惑うことが続いている

ネットで話題になる、弱者やマイノリティ、集団の共通点から外れている人への差別とかそういうのあるじゃないですか。

私はその辺は、まだまだ考えたり事例を見たり話を聞いたりして言葉を見つけていきたいと思っているけど、基本的な前提として「その人が生まれた時にすでに持っている属性を、下に見たり差別したりするのはダメ」というのを持っています。刷り込まれてることもいろいろあるから、ふとした瞬間に差別心や偏見が出ちゃうけど、それでも出来るだけ立ち止まって「それってその人がその属性に生まれてきただけじゃない?」っていうのは考えたいです。

生まれた時はそうだったとしても後からどうとでも変えることができただろう? という事柄や選択できることについても、どうしてそういう選択をしたのか、そこに流されてきているのかを考えてから対応したいと思っています。

でも私がそんな風に考えるようになったのは最近のことのような気がするんだよねえ。だからあんまり人のことを言えないんだけど。

普段「この人は立派だな」「しっかりした考えを持っているな」「自立している」と尊敬できるような人が、ものすごーーーーーーく差別的な考えや態度を隠さず出してくることに遭遇することが増えてしまったんですよ。

以前のわたしならあっというまに幻滅して「さすがに、それはないわ」って、その人の言動が目に入らないようにしますよ。以前のわたしなら、ね。

それが出来なくなっちゃったんですよ。これには私自身が戸惑っています。

えーー、嫌いになって「サヨウナラ」「ハナシカケテコナイデクダサイ」ってやってしまうのには惜しい、普段は楽しい、尊敬できる部分も多い人、だけどとっても差別的で「それはいくらネットでも、直接だれかに向けてなくても、行っちゃダメなやつ」ってことをガンガン言う人がいらっしゃるわけですよ。

正直見るに堪えない。ちょっとした欠点とか、偏見とか知らないだけとかそういう次元じゃないレベルで差別的。歴史とか現状とか把握したうえで。そんな話題になっているときは本当につらいです。

しかも皆さん頭のいい人ばかりで、私が何か言っても逆効果だと思います……私がさらに差別を助長する材料になりそう。「やっぱりね、お前みたいのは差別されて当然でしょう」と言われて終わるだけだと思う。勝てないとかそういうのじゃなくて……勝とうとは思ってないけど……不満を口にしただけで「はいおまえはあっち側」ってやられるんだろうなって。ああ、私はそれが怖いのか。

まあそれで、私が嫌われる側に回るのが怖い私は、その人たちが大事にしているだれかから諭してもらうなどして差別心について考えてくれるようにならないかな~と願ったり……呪ったりしているわけです……

呪い以外の解決方法が欲しいから悟りを開きたいわけです。たぶん悟りを開いた人は、他人を呪う以外の術を使える人だと思うのです。


好きなものを作った人を100%好きになれるわけでもない

これも最近立て続けに。

「私はこの作品がとても好きで、ずっとずっとかかわってきて、何度も見て、いろんなものを得ました……」
「この言葉を言った人はこのひとです。この言葉を私はとても大事にしています」

というものの発信者とか作者の人のほかの作に、どーーーーしても受け入れられないものが含まれてたりするわけですよ……

この辺はなあ……むずかしいよね……人間も変わるわけだし、どこかの方面がわたしとあっててもどこかの方面は合わなかったりってのがあるじゃないですか。

作品そのものとか、部分的にすごく好きなものがあるのと同じように、部分的にどうしても嫌いな部分もあるということ。知って行けばどんどんまだらにまざってきて、すぐ隣に見えてきて、無視できなくなってしまう。

でも「そのまだら模様、ずっと模様だな」っていう予感もしています。混ざって嫌な色になってしまうことは無く、好きな色と嫌いな色が隣にあって交互にぐるぐるしているけど、全体が変な色に変化することは無いんじゃないかと。


うーん。だらだら書いたけどしめの言葉が考えられない。

まだまだ考えていきたいと思って……います……

でも相当疲れてきたぞ。全てを好きになれる何かに打ちこんで癒されたい。きれいな石でも拾ってきて磨くかな??