あんまりがっつり書かないで、ぼんやり思ってることを書いてみるだけなんですけど。
偏見とか、差別心とかの原因になってるもののひとつに、人間が人間であるからこそ会得した能力が関係してるかもなあと思ってるんですよね。
危険を経験や学習から予測して、避けたり防御したりする行動をとる……ということはよくあることだし大切なことでもあるわけじゃないですか。
どの場所は危険だ、この時間帯は危ない、こういう条件だと悪いことが起きやすい、○○には注意
とかそういうやつ。前もって知っておくのは大事だし、行動を決めるときの指針になると思うのだけど、それが差別や偏見につながることもあると思う。
○○人は怒りっぽい。○○という場所は犯罪者が多く集まる。
など聞くと、じゃあ気をつけなきゃな……と思った結果「個人がどういう人か」より先にそのラベリングを参照してしまって、「この人もそれかも」と当てはめて思い込んでしまうということがあるだろう。
「県民性」とかも私は取り扱い注意だなと思ってて、「○○の人間はこういう性格」っていうのは、確かに存在するのかもしれないけど決めてかかってはいけないだろう。自分が誰かとは違うのだから、みんなそれぞれ「同じなところもあり違うところもあり」なのに、ついつい面白いと思って「○○県民はこうなんだってね」と言ってしまう。ジョークだったりもするけど、深層心理で思い込んでしまうと厄介。
そういう「あの属性の人、文化の人は○○」が役に立つときもあるので一概に悪とは言えないんだけど、常に「それって全員なのかな?」「今回も当てはまるかな?」と考えたほうがいいよね。特に目の前にいる人については。
私自身も、女性だからとかこの年代だからとかで「確かにその通りです」っていうこともあり、「いいえ、私はそれではないです」ってこともあるんだから……学習と想像と予想で対応することもありつつ、せめてそれを相手に見せないように、柔軟にひとつひとつ確認しながら丁寧に接していくことができればなあと。
とにかく「この世の中にはどういう人がいるのか→Aなひと、Aじゃないひと、それぞれいる」ことのパターンをたくさん知っていくことがひつような「学習なのかもな」と思っている。