数日前、とある人が登山中に亡くなってニュースになっていた。
ネットではよくその方のことが話題になっていたので、今回の遭難もやはり話題になった。
私もその人のことは前から知っていたし、登山とか山に興味があって本をいろいろ読んでいる私なので、その方の登山スタイルとかの話題もチェックしていた。
亡くなってしまったらもう言葉がでない。やはり今回の遭難にたいしても、中には
「山に何度も登ろうとしていた。山が好きなんだろう、だから山で死んだことは本望かもしれませんね」
とこういうニュースで見かける「いつものコメント」がちらほらあった。
前にもこの日記(旧のほう)で書いたと思うけど、山で死ねて本望な人はいないのですよ。死ぬまで山に登れたと言うことは望んだことかもしれないけど、山で死ぬことを望んだわけではない。どんな遭難体験の本を読んでも、みなさん「帰りたい、生きて下山したい」と思っている。「もしかしたら山で死ねるのは本望かもな」なんて思ってる人はいなかった。生きて帰ってきた人しかそういう気持ちを語れないから、亡くなった方の中には本望の方もいたかもしれないが、死者の気持ちを推測するのは私は好きじゃない。
亡くなってしまったことで、「いまさら言っても」という感じもあり、登山の方法が安全だったのかとか、こうすればよかったなどは言いにくく感じるかもしれないし、実際「もう死んでしまった人にあれこれ言うのはやめなさい」という意見の方もいた。
まあ私もそういう気持ちもあるけれど、山岳遭難の場合は、今後も人が山に登ろうとする限り、遭難に至った状況や、今後の対策などは探求・分析されることになる。100%安全ということはないことだからこそ、どうすれば安全に近づけるのか、また、アクシデントがあった際はどう対応すればいいのか。何が人の死につながったのかを考えなくてはいけない。
亡くなった人や遺族、関係者にとってはつらいしそっとしておいてほしいことだろうけど、遭難に関しては先人の経験を生かせる分野だから、また細かい「なぜ?」を調べた記事などが出てくるだろう。
こちらの本もそういう遭難に学ぶ本だ。
このようにひとつの事件を、だれがどのように動いて最終的にどうなったのか多角度から見た分析もある。登山者、ガイド、ツアー会社。
エベレストの遭難と言うのはあまり身近な話題ではなく、国内で山に登る登山者には参考にできる部分も少ないとは思うのだが、人が一人エベレストといういろんな意味で特別な山に、登る、登らされる、登らなくてはならない、そして観客がいる、観るものや支援・応援するものの期待は? そういうまさに「多角度」から遭難に至ってしまったいきさつを分析して問題点を浮き彫りにしないと、次の遭難者が出てしまうんじゃないか。