私もだいぶ長く生きてきて、それを一番感じるのは
「私ほど生きた人と、まだ半分ぐらいしか生きてない人では見てきているものの量に差がでてるな」
というところ。
あたりまえのことなのに、わりと忘れてるんじゃないか?
意識して思い出すようにしたほうがいい。
物理的に……っていうとちょっと違和感あるけど、まあ時間がそれだけあったので、見たもの・知っているもののボリュームにも差があるということ。
30歳と30歳でもヒトによって知識に差はあるし、読んだ本の冊数も違うし、得た給料もちがう。でもそういうことじゃなくて、時間がたつことで自然と蓄積される経験とかそういうの。努力に関係ないやつ。
なんでそんなことを突然言い始めたかと言えば、何度も繰り返された話題で、ここ最近もよく目にする話題で
「女性差別とかいやがらせ、性的なものへの嫌悪は(それらに関係なさそうな)おばさんばかり。当事者と思われる若い女性はそんなことを気にしていない」
ってやつ。
まあ一見してわかる人には「そりゃ若いころは気づいてないだけだろ」とツッコミを入れる内容だと思うのですが、根強く繰り返されるので、感覚的にわかんないんだろうなあと。実際自分も、若いころは「私そういうのきにしないんでww」みたいな態度だったな。はしたない恰好をしているとか指摘されても「はあ、別にあんたに関係ないじゃん。私は平気なんで」みたいに思ってたけど、なんかそういう単純なことじゃなかったんだな……と。本人が平気だからいいとかそういう話じゃなかったのかもしれない。
その中で、
「中高年の女性は性表現への嫌悪がある。若い女性は嫌悪が少ない」
ってのもあったんだけど、これは難しいし、年を取ると嫌悪が増えるのわかるよ。
いままで生きてきていろいろ見てきましたよ。そうするといろんなものがあるな、その中には好きじゃない・見たくないものもあったな。と思い出しますよね。
「性表現に嫌悪しますか?」
と聞かれた時に、もやもや~んといろんな表現を思い出すとするでしょう。苦手な描写とか、怒りを覚えるほどのものとか、特殊なのとか暴力的なのとか、はたまた好きなものとかいろいろ思い浮かぶでしょう。
それによって自分の意見を言うと思うんだけど。
年齢が若い人はその分触れてるものも少ないと思うんだよね。だからもや~んと
「性表現……みたことある青年向け週刊誌のグラビア、胸のおおきな女のひとのそればっかり強調してたな。でもまあはだかじゃないしいっか」
ぐらいのものしか思いつかなくても「別に気にならないです」ていうかもしれないじゃないですか。ちかんにもあったことないし、嫌がらせに気づいたこともないし。私は平気です。ってだけかもしれない。
年を取るというのはそういう悪意の思い出も蓄積していくということなんじゃないかと……
だから本当だったら、「表現にはこういうのがあり、すべて自由です。どう思いますか」と具体的に見せて全員で前提を共有してってのが一番なんだろうね、まあぜんぜん実現しない話で実現させる必要のない話だけど。だからその辺も折りこんで考える必要があると思っているのです。