ひとのブログを読める分ぜんぶ読んだ
はああ~~~いますごい達成感を得ている。
読んだのはおともだちのフジイユウジさんの書いているブログだ。
フジイユウジ::ドットネット
https://fujii-yuji.net/
フジイさんとは6年前からマストドンでつながってるおともだちで……っておともだちでいいですよね、フジイさんの定義だとおともだちでいいはずだ。違ったらすいません。
先日わたしの念願かなってはじめて一緒にご飯を食べに行ったんですね。初めて「今度お茶でもしましょう」って私が言ったのが2018年のはずなので(あちらは覚えていないだろうが)5年たってるんですよ。なかなかいかないもんですね。でも今回はとんとんとお話進んでご飯を食べてきた。それをきっかけにブログを全部読みました。何を言ってるのかよくわからないかもしれないが……
通読する楽しみ
フジイさんのブログはもともとちょくちょく読んでいた。でも6年前に相互フォローになってから、気が向いたとき、フジイさんが「読んでくれー」などと言ってリンクした時に読むというかんじでつまみ読み(?)していた。
それを思い立って一気に最新から最古のものまでさかのぼって読んだのだ。
これはちょっと不思議な体験になった。
2017年以降のフジイさんは「知っている」のだが、それ以前はどういう人だったのかを知らない。今の立場になる前の話とか、行った旅行の話とか、直接聞いたり昔話として語っているのを見たことはあるけど、2012年より前になるとだんだん知らないフジイさんが出てきて、2008年や2007年までさかのぼると「同じ人なのにイメージがちょっと違うぞ!」と印象が変わっていくことにびっくりした。全く別人にはならないところも面白いなあ。
ひとの形を見つけていくこと
つい最近「私はこういうことがすきなんだなあ」と気づいたことに「ひとの形を見つけていくこと」がある。主にはSNSで、流れてくるタイムラインからひとりひとりの情報の断片を見つけて脳内で集合させることによって、その人が少し見えてくる気がするのが楽しい。好きだ。特にやろうと意識してないけどかってに断片が集まって塊になっていく。私はこういうところにだけ異様な記憶力を発揮する。普段は「アレ?そうでしたっけ?」とかとぼけているが、マストドン(自鯖)とTwitterはHTLを通読しているので何か呟いちゃったことがあったらもしかすると私が憶えちゃってるかもしれないね。
しかしそれでも「完全にこの人はこういう人だ」とわかるとは思っていないし、そうならないところが面白い。「ひとり」の塊のはずなのに、形が見えてくるほどいろんな面が見えてくる。「あれ、ここにこんなものが埋まっているのか」「こっちはこういうかんじだ」そのいびつにも見える塊がいとおしいなって思ってくる。みんなひとりの塊の中に、たくさんの人間らしさと、矛盾と、自分らしさを内包しているのだ。
フジイさんは6年もフォローしてるのに謎の多いひとで(私にとっては)、いろいろ情報の出し方に気を付けているんだろうなと言う予感はあったのだけど、ブログ全部読んでもその辺はあまり変わらなかった。
人のことを(本人が発した情報とは言え)収集・分析するのはあまり趣味のいいことではないと思っている。でも多分フジイさんはブログやSNSで得られる情報を見ることについては気にしないでいてくれるだろう。
ちょっとキモいかもな私って思ったけど
ひとのブログを、公開されてるからと言って全部一気にさかのぼるなんてきもいかもなとちょっと途中で不安になった。「読んだ」なんて言わないほうがいいだろう……それどころか「この記事いいな」と思ったらピックアップしてタイトルとアドレスをメモに貼り付けて一覧できるようにしたりした。キモい。
でもよく考えたら、「たまたま縁があった人の発表しているエッセイ本を一冊買って、ちょっとオッって思ったところとかに付箋を貼った」程度のことかもなって思ったら別にキモくないかもって思った。あとフジイさんもブログの初期のほうはそんなことばかりを(ほかの、フジイさん自身がとてもファンだというひとにむけて)やっていたので安心した。きっと許してくれるだろう……
私のサイトの日記にも過去ログはあるけど?
たぶんこの世で私の書いた文章を全部読んだ人は一人もいないだろう。まあライターとかやってるとそうだよね。膨大な量になっちゃうもんね。
無料で読めるこのサイトの文章だってたぶん全部読むのは無理だと思う!読んだよって人がいたら申し出てほしい、ほめるけど、1997年にWEBサイト開設したころの文章も残ってるのでむちゃくちゃ恥ずかしい。あんまり古いものは見ないように……
もう自分で読み返しても「別人か!?」ってなるもんね。