2019/7/22 

大きな事件があって、それの報道や世間の反応を見ていると、だれがだれをころしたのか、どんなひとが死んで、その未来はどういったものがあって喪失したものは何なのかを大きく扱って悲しんでいるのだけど、どうもつらく感じてしまう。

死んだ人が生きていたら何をなしたのか、これまで何をしてきた人なのかでいのちの価値がかわるわけではないのに、と考えてしまうから。

このあととくに何をなさない人でも、いままでただ年齢を重ねてきた(ように見える、だれもその人のことを語ってくれない、証拠もない)人でも
無差別に殺されていいわけではない。


私がひねくれているとは思うし、言われていない言葉を勝手に受け取ってつらい気持ちを生み出しているだけだというのもわかるのだけど、言葉は一つの方向性を示したときに、必ず「発しなかった言葉」がその裏側に生まれてきてしまうのも本当のことだと思うのだ。そこに選択があるのだから。

文字を綴って自分の思いを伝えることができる人間としてはいつも、選んだ言葉、選ばなかった言葉、その意味を考えて生きていきたいと思っている。

投稿者: AchiFujimura

Blackstrawberry.net管理人藤村阿智の日記と言うか雑記的なページ