もともとここ数年アフリカへの興味から積極的に行動していたけど、2019年からの1年間は濃い1年間になりました。すごく楽しかったので、そのことと「私とアフリカ」についてここでメモしておくことにする。
1年かよった「アフリカ概論」第3期が終了した
2019年4月から、ジャーナリストの岩崎有一 氏による講義が聴ける「アフリカ概論」第3期(主催:株式会社KeyNoters )に参加していた。
参加したきっかけは、岩崎氏の記事をネットで読んでから(タコで追う「西サハラ」問題―― 築地から“アフリカ最後の植民地”へ – Yahoo!ニュース )、氏のTwitterアカウントをフォローしたこと。それが2019年1月の話で、2月の「アフリカ概論」第2期・第10回目の時に、10回目だけの参加でも可能、お気軽に……と告知があったのを見て、第10回の前日あたりに勢いで申し込んだ。
普段のわたしは引っ込み思案で、気になるイベントなども「でも……」と変にもじもじして参加しないことが多い。2019年はそれを変えよう、新しいことや初めてのことに積極的に挑戦しようと新年に目標を立てていた。聴講を申し込んだのは「アフリカの話を聞かせてくれそうな人に会いに行く」という新しい、ささやかな挑戦のためだったのだ。
実際に参加してみると、とてもアットホームで、だからと言って距離が近すぎることもない、私にはちょうどいい雰囲気で安心した。第10回「アフリカを遠ざけないために」はこれまでの話を踏まえて「『アフリカ』とひとくくりにできない、しかしやはり『アフリカ』という一体感もある」というお話と、岩崎氏がアフリカで撮影した写真をバーッとスライドショーで見せてくれるという、全体で見ればボーナストラック的な回なのだけど、その気軽な感じもまたよかった。
私はストリートビューでアフリカの道を散歩するのが好きで、そこに住んでいる人の本当の生活の様子を見たいとずっと考えていた。メディアを通して見えてくるのは普段の生活とは思えず、「アフリカがこんなにほかの地域と違う文化と生活習慣を持っている」という驚きばかりが伝えられていると感じていて、ストリートビューで見る限り「アフリカの人たちも私たちと同じように、日々生活して、おなじ文化を楽しむこともあるし、でもやっぱり地域によって違いがあったり、その土地ならではの暮らしの工夫や営みがある」のではないか……という実感と乖離していると思っていた。
実際にアフリカに行った人ならその辺の話を聞かせてくれるかもしれない。普段の生活の様子の写真や街並みのことを知りたい。
「アフリカ概論」の内容はまさにそういうものだったし、岩崎氏が教えてくれるアフリカの人々とのエピソードは、「多くの、アフリカを知らない私たち向けに切り取ったもの」ではなく、実際にそこに生きている人たちとのことを伝えてくれるものだと感じた。
参加している人たちも、アフリカにそれぞれ違うかかわりを持った人たちばかりだった。実際にアフリカに旅行して、ほかの土地のことも気になったり詳しく知りたいと思った人や、食品を気に入って取り寄せている人、絵を描いている人などいらっしゃるようだった。
主催のKeyNoters岩丸さんが「初めていらっしゃったんですよね、岩崎さんと名刺交換してお話などしていってください」と促してくれて、……実はすごくありがたかった。そういわれなかったら私はたぶん目立たないようにその辺の人に紛れて会場を後にしていたのだけど、ちょっと勇気をもらって岩崎氏と「タコの記事読みました……」という話をすることができたのが、また来たいなと思えるきっかけになった気がする。
1年間楽しかった……
2019年4月からは、また第1回から講義が始まるという。せっかく「行ける場所、行って良かった場所」ができたのだから、この機会を逃さないでお話聞きに行っちゃおう……と、申し込むことにした。もう全10回行く気まんまんで申し込んだ。
「アフリカ概論」は、他の受講生の方もおっしゃっていたのだけど、アフリカの知識を全体的に・俯瞰して教えてくれるところがいい。いままでアフリカの情報に触れられそうなセミナーなどを見ると、どうも重いというか、局所的というか、困難な状況にある人々の苦しい実態を知ろうという内容が多いように思えて、アフリカの地理や歴史、そこに住んでる人々、現在の状況、どんなひとたちがいるのか、実際になにを楽しんでいるのか、どんな風に生活しているのか……という広い目でみたアフリカの話ではななさそうだなと思ってしまうものばかりが目についた。
「アフリカ概論」では、まず地理や歴史、政治などを知って、どんな人たちがどういう思いで住んでいて、それぞれ違っていて「同じアフリカであり、かつアフリカとくくるだけでは説明できない」複雑な様子を教えてくれ、興味を持ったらどういう風に情報を調べたらいいのか、行きたいと思ったらどうしたらいいのか、行くときは何を持っていけばいいのか、予防接種は、ビザは……などとにかく「知らない土地アフリカ」を身近な存在にしよう という内容だったと思う。
懇親会も毎回楽しかった。ずうずうしくも毎回、全部参加した。参加してる人たちもそれぞれアフリカに興味があるわけで、何度も行っている人、アフリカで仕事したいと思う人、これから行きたいと思ってる人などなど。たぶん海外に行ったことのない「安楽椅子アフリカ好き」は私ぐらいのもので、異色だったと思う。でもそんな私の話も皆さん興味を持って聞いてくれて……「行ってないならお話にならない」みたいな雰囲気は一切なくてそれもうれしかった。きっかけは単純に知識欲だけで参加した私だったけど、そのことに後ろめたさを感じることはなかった。
私もアフリカに行ってみたいとは思っているけどなかなか。この1年勉強したことでかなり現実味を帯びてきたし、何しろ実際に行った人がたくさんいることが「私にも行ける場所なのかもしれない!」という気持ちにさせてくれる。それでもやっぱりすぐには行かれないけど、でも行きたいなという気持ちでこれから準備していきたいしチャンスがあったらつかみたい……
アフリカを知るための姿勢が変わった
1年間、10回、毎回2時間のお話と資料と、聞きながらとったメモはあるけど、正直全部頭に入っているとは言えない。「何をきいたか言ってみろ」と言われても、すぐに「こういう話を聞きました」と言い返せない。
だけど、知るって面白いなあ と久しぶりに感じている。
私は自分からいろいろ調べるのが好きな方だけど、それは「知りたい」と思ったことしか調べられない……ということを忘れていない。知りたいと思いつかなかったことを知るのは難しいことなのだ。だから人の話を聞きに行った。誰の話でも良かったわけではなくて、興味が持てる「知りたいこと」に気づかせてくれる人の話が良かったのだ。
講義の最中には「へえ~」と聞いていたお話が、後でほかの情報に触れているときに「あっコレのことだ」「これは知ってるぞ」と思い出せるようになってきて、情報の理解度がグンと深まった気がする。ニュースを見ていても「これはああいう事情があるからこう報じられているんだな」など、頭の中の引き出しから出てくる情報の量と質に変化がある! 地図の見方もだいぶ変わった。前と同じ地図を見ているはずなのに、読み取れる内容が大きく違う気がする。もう前の状態に戻れないから、どこに差があるのかうまく説明できないけど……「ひとつを見ても考えることが沢山出てくる」感じで、さらにわからないことを調べることができる……!
調べただけではわからない細かいところや、確認したいところがあるときも聞ける人ができたというのはすごく大きいし楽しみになっている。
ああ、講義が全部終わってしまったのが寂しい。
でもきっとまたここで出会った人々に会いに行くだろうし、会いたいと思える人たちに会えたのはほんとにうれしいことである。
第4期もあるとのことなので、アフリカに興味がある方は参加概要をチェックしてください。ほんとうに気軽に参加できますよ……
株式会社KeyNoters
第10回(最終回)に向けてねんどで作ったアフリカ大陸型ペンダント。
おまけに「わたしとアフリカ」
もう3000文字以上書いてて長くなってしまっているけど、そもそも私がアフリカにどういうきっかけでこんなに興味を持っているのか、自分でも忘れないために今のうちに書きだしておこうと思う。
・子どもの頃のアフリカの印象
私が小さい頃は、アフリカと言えばみんなが困難に苦しんでいて、食べるものがなく、病気を治せず、貧しくて戦争もあり、科学に置いて行かれている、独自の文化を持った人たちが住んでいる、というイメージだった(いまとなれば当時でもそんなことばかりじゃなかったとわかるけど……子どもにはそういうイメージが植え付けられてたと思う)。
あと、とても動物と自然が好きだったので、そういうものがたくさん存在している「田舎」であると思っていた。私も田舎の農村・山育ちなのに! もっともっと田舎なんだと思っていた!
・大人になって、読んだ小説
これは直接今の興味につながっているわけではないけど、あとで「そういえば……」と思い出したこと。
好きな小説家、伊藤計劃氏の小説にはアフリカが出てくることが多い。長編にはアフリカのシーンがあるし、短編ではアフリカがモチーフの話を書いてたりする。
ただしどちらかというと内戦や搾取のほうへの問題意識から書かれているように思えて、私の中で「アフリカは怖いし大変だな」というイメージを強くしたようにも感じている。
「The Indifference Engine」はツチとフツの……いわゆるルワンダ虐殺 からヒントを得た短編だと思うんだけど、とにかく怖くて、まああんまりいい印象にはならないと思うんですよね。小説としては好きです、ファンなので……
「虐殺器官」はアフリカはメインの舞台じゃないけど世界を飛び回っていて、この小説の世界に出てくる「人造肉でできた飛行ポット」とか数々のマシンの筋肉を獲るための生物が、アフリカのヴィクトリア湖で養殖されていると。「ヴィクトリア湖の悲劇 」ナイルパーチのことがモチーフになっている。
じつは私がストリートビューでアフリカを見るようになったのは、上記のヴィクトリア湖の件がきっかけ。本当に、そこの人たちはつらい思いをしているのか? どういう人が住んでいるのか? を見たいと思ったら、ウガンダ・カンパラからヴィクトリア湖周辺が見れるストリートビューがあった、というのが始まり。
「ハーモニー」も序盤で主人公・トァンがアフリカ、ニジェールの砂漠の民と闇取引をするシーンがある。青い服を着たトゥアレグの人から、トゥアレグではなくケル・タマシェクと呼んでくれ……と言われるシーンは、何気ないシーンだけど心に残る。
伊藤計劃の小説の舞台は1作の中であちこちに移動する。「虐殺器官」も「ハーモニー」もそう。主人公たちは身軽にあちこちへ飛び立っていく。伊藤氏本人はずっと病床で小説を書いていて、どういう思いで世界の話を書いたのだろう。
もし今も書いていたとしたら、どんな風にアフリカを書いただろう……
・Die Antwoordとの出会い
それは2015年。
これがいま現在の「わたしとアフリカ」につながっている。
私の好きな人(一方的なファンで知り合いではない)がSF好きで、映画も好き。
その人が面白いというものは大体私にも面白い。
「映画チャッピー良かった。SF好きにオススメ」的なことをおっしゃっていて、興味がわいてその映画を見てきた。面白かった。
「チャッピー」の舞台は南アフリカ・ヨハネスブルグだった。そこでちょっとびっくりしたのは、ヨハネスブルグが超都会だということ。なんと、私はそれを知らなかったのだ……文字でしかヨハネスブルグを見たことがなかった。以前「アフリカでワールドカップ をやるが、場所は超危険なヨハネスブルグ。無事に開催されるのか?」みたいな文字だけ見てて、危ないところなんだな~アフリカのヨハネスブルグってところ~、ぐらいのイメージしかなかったんだけど、映画で見たら「あれ???超都会で車が走ってて建物が高い???」 と気づいて初めて自分の知らなさというか……偏見に気づいたのである。「アフリカだから、田舎で建物は低くて車に乗ってない」ってイメージだったみたい。ひどい!
さらに、その映画に出てきていたチンピラのニンジャとヨーランディ が、実際に同じ名前で音楽をやっていて、しかも夫婦でラッパー (注:今は夫婦ではないようだが音楽活動のパートナーは解消されていない)だということを知って一気に好きになってしまったのである。最近更新がとまってるけど勝手にファンサイト 作っちゃうぐらい。
Die Antwoord のことを追ってて良かったこと
・世界的なアーティストなので世界のツアー映像などを楽しめた
・Instagramで本人たちと交流できた
・彼らは日本が好きだと公言している(日本語を使ったり、日本のアートを取り入れたり、日本の音楽に言及したり……)
・乗ってる車がSUBARUなのでちょっとうれしい
・成り上がりっぷりが見ててきもちいい(笑)
(アフリカ=貧困ばかりというイメージは消えたし、周りの人も白人ばかりでないところが良い。黒人にも怖いイメージは無くなった)
・アフリカーンス語の曲も多いのでそこにも興味がわいている
・「アフリカをステロタイプで見るなよ」というメッセージが散見されるので、視点を変えるきっかけになった
・グッズを買うためにはじめて海外通販をした
・かかわっているほかのアーティストの活動も追い始めた
・南アフリカの写真家、ロジャー・バレン氏が来日した時お会いできた
(ロジャー・バレン氏はDie Antwoordのビジュアルも手掛けたことがある)
最初は「Die Antwoordのみなさんは南アフリカ の人みたいだけど、そこでは日々ひとびとが強盗にあったり殺人にあったりしてるらしいし、今日明日に死んでもおかしくないんじゃないか……無事なんだろうか……」と妙に不安になったりしてたけど、Instagramや動画などで南アフリカの様子を知ったらだんだん不安はなくなってきた。そして、Instagramに投稿された写真の場所をストリートビューで見る、今度のライブが行われる場所の地図を見る……などしているうちにいろんなことに気づいてきた。
「ケープタウンって、リゾート地もあるんだな……」
「アフリカの商店街面白い……」
「住宅地の作られ方も日本と違ったり、でもおなじだったり、ずっとずっと豪華な家もあるし、いい景色もあるし、裏道もあるし、人々はここで生活している……」
そうして見る場所を少しずつ広げていって、「ここはなんだろう?」「これはどういうものだろう? なんでこうしているんだろう?」自分だけでは調べきれないし、知っている人も少ないようなことがどんどん出てきた。私自身も「ほとんど知らない」ことに気づいていく。
「これは、だれかアフリカに行ったことのある人の話を聞いてみたいな……」そんな気持ちがだんだん大きくなっていったのは、そういう活動からだった。
・日本とアフリカがつながってきた
2019年は、私にとっていろんな方面から「日本にいながらにしてアフリカのことをしる手がかり」を得ることができた1年になった。まだ行ってみてない雑貨屋さんや、イベントもいろいろある。アフリカだけじゃない世界のあれこれを知りたいという気持ちも大きくなっている。
私は、私の中に生まれた「ブーム」みたいなものを信じられるようにもなってきた。一過性のものではなくて、おなじことに長く興味を持つことができる人間なんだなと。だったら興味のあることは、どんどん知ってかかわっていったらいいんじゃないか? そう思えるようになった。
Die Antwoord が南アフリカから日本を見つけてくれていたように、日本からアフリカを見ている人たちもたくさんいて、私はその人たちの話を聞くことが出来るんだとわかった1年だった。
遠いけど関係ないわけではなく、行こうと思ったら行ける場所で、行っている人もいるんだと。
何本もの糸がアフリカと日本のわたしをつなげてくれたような気がして、まだまだこれからもこの糸……少しずつ増やしていけるような気がしている。
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