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まんがを描く話:3


「前編」につづいて中学生のときのまんが話

 中学生の頃は相当時間があったらしく、たくさんの漫画やらイラストが残っています。
途中で田島昭宇さんの「魍魎戦記MADARA」にはまり込みまして、ノートに表紙の摸写などをして遊んでいました。
現在の私の絵に田島昭宇さんの絵の面影が無いところから、影響はされなかったみたいです。(残念)

 当時、クラスの女子の半分以上が漫画系イラストを描く人で締められていまして、
みんなでイラスト集を作ったり。(コレはちゃんとコピー誌になって、参加者に配られていた・毎月一冊ぐらい)
そのメンバー内ではスケッチブックに描いたイラストをみせあいっこしていました。

スケッチブックに描いていたキャラクターに名前がつき、同じキャラを何度も描くようになると、
それにつられて話も出来ていきます。
だいぶノリノリになってきた私は、その4人のキャラを使って漫画を描きました。

  ボーカルをやりたかったキヨリちゃん、「ボーカル募集!」の張り紙を見て、バンド部に突撃!
 かわいい女の子の登場に、バンド部のメンメンも大喜び。
 ギターのアズミくん、ベースのヒロセくん、ドラムのタギリくんたちは、楽器の腕も良くないが
 バンド活動にあまり熱心じゃなかった……
 怒ったキヨリちゃんに、とりあえず歌ってもらおうとマイクをわたすアズミくんでしたが、
 なんとキヨリちゃんはマイクを持ったときと酒を飲んだときに、性格が変わるという変わった女の子だったのです。

……という内容。
このキャラたちは大変気に入っていまして、この3年後にも漫画を描いて雑誌に投稿しています。
(それはまた、次回の「高校生編」にて。)
バンド漫画のキャラクターを現在の絵で描いてみました

 この頃から、今の「ブラックドウワ」と内容が似通った短文を書くようになりました。
それは、担任で私の活動を優しく見守ってくれていた国語の先生に、よく渡して見てもらっていました。
特に文章の添削などをしてもらっていたわけではないのですが、クラスの新聞(先生作)に載せてもらったときはうれしかったなぁ。
(ちょうど授業でやった「走れメロス」のギャグパロディだった(笑))

 中学も終わりになってきた頃、同人誌というものを知りました。
藤子先生たちが肉筆回覧誌を作っていたこととかは知っていたのですが、(それで自分も1冊だけの本を作ってた)
現在でも、パロディとかで作ってる人がいて、それを買えるんだなーとびっくりしたものです。
でも、通販でしか買ったことありません。ファンロードとかに載ってたものを見て通販してもらっていました。
同じくファンロードで募集があった、漫画ファンサークルに入ることにしました。

その漫画ファンサークルは「ドラゴンボール・3×3EYES・魍魎戦記MADARA中心よろず」というジャンルで(ジャンルか?)
どれもが好きな漫画でしたので、入会してコピーの会報を取り寄せて読んでいました。
ところが1年も経たないうちに終了するとお知らせが。
最後の記念に、オフセット印刷(ちゃんと印刷所に出して印刷・製本してもらう)で会報をだします、
つきましては原稿を募集します……とお知らせに書いてありました。

一生懸命描きました!ドラゴンボールのキャラで3×3EYESをやってみたり、
MADARAのオリジナルストーリーを3pageほど描いてみたり。

無事、それらは採用されて(多分全員採用)、会報も送られてきました。思えばコレがはじめてまともな形になった自分の作品。
ちゃんと本の体裁になっていることが素直に嬉しかったです。
でも、隣の人がすごい上手な人で、私の漫画浮きまくってました……

そのころペンネームが無かったので、適当につけた本名をもじったペンネームが恥ずかしい……
藤村阿智と同一人物だとばれたらどうしましょう(笑)

そんなこんなで、一番盛り上がっていたかもしれない中学時代終わりです。
高校時代は雑誌の漫画スクールへの投稿が主な活動だったので、さらに内容は充実しているかも?
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